日本天台宗の開祖である最澄と、東国での布教にたずさわっていた法相宗の徳一とのあいだで展開された「三一権実論争」について、ていねいな解説をおこなっている本です。
三一権実論争は、平安初期に天台法華教学にもとづく一仏乗の立場を打ち出した最澄と、三乗を墨守する奈良仏教最大勢力である法相宗との対決という見
...続きを読む取り図で理解されてきました。しかし著者は、こうした見取り図は唯一のものではなく、さまざまなコンテクストからこの論争が生じた理由や論争そのものの展開を見ることが可能であると主張します。とりわけ本書では、論争がはじまる以前から、その下敷きになるような対立が、法相宗と三論宗とのあいだに存在していたことを指摘します。さらに論争の展開についても、因明論と呼ばれる論争のルールにかんする解説をおこない、そのルールを最澄と徳一の両者がどのようにつかって相手を批判していたのかということが解き明かされています。
著者のアプローチは、基本的には歴史学的なものであり、仏の慈悲のおよぶ範囲について、最澄と徳一それぞれの主張がどのような思想的な意義をもっていたのかという興味にこたえてくれる本ではないように思います。しかし、教説の正統性に依拠したり因明論にもとづいておたがいの主張の正否を明らかにするという論争のありかたが、当時においてどのような思想的意味をもっていたのかということや、あるいはそれが現代においても課題となっている宗教観の対話にどのような示唆をもたらすのかということについても触れられており、そうした意味でもこの論争を解釈する見取り図がひとつではないことを教えられたように感じています。