奈倉さんの訳という事で触れた当作。思った以上の素晴らしい内容、展開、心が打たれた。
読みながらも胸のビブラードがふるえ、サーシャの心中、タチヤーナの本懐がすれ違う様で、クロスして行くプロセスに、笑えない現実の重さを感じさせられた。
彼女が経験してきた人生航路の壮絶さは語りの軽やかさと反比例して居る
...続きを読むだけに、圧倒されんばかりの熱が地中で迸っている・・静かなるマグマの様に。
ただでさえ「鉄のカーテン」が惹かれたソ連、外務省、翻訳という業務・・・そして捕虜名簿。
フィリペンコという冷たく熱い才能の作家を知れたことは幸い~「理不尽ゲーム」を是非読みたいと思った。
この数年、ロシアは遠くて未知の国という感覚だった。それを導いてくれたのはスヴェトラーナ、その彼女が絶賛する彼の存在は現代、ますます世界が複雑化して行く時間で重要な存在になって行くと思われる(ロシアの立ち位置が、否応でも世界全体にとって、スルーすることが出来ない存在であるだけに)
ドフトエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、ソルジェニツィン辺りしか触れず、全く無知だったロシアの現代の会話に触れ始めて思う事は~何という語彙の豊饒さ。
良くも悪くもののしり、皮肉、罵倒する、無視する類の言葉を投げつけている事か。
公の聴取でも「このクソアマ」から始まり、あほバカブスのような我が国の言葉のを遥かに凌駕するセンテンス。
持ってくる比喩の例えの多さ~だるま船に乗せられて生きたまま水死させられた白軍兵、ホロモドールの死者、「この地域では人間以外あらゆるものを食べて来た」記録、デカブリストの妻ごっこetc限りないその言葉
感想が次から次へと溢れて頁を閉じ、余韻に浸る。
スターリンの銅像・・当初はサイズ違いで壊され、次のは妙にでっかい頭がつけられた。作中、継父がタチアーナに投げつけた言葉・・スターリンが妙な民主のやつらに悪党呼ばわりされたとある。死後100年が経つというのに甦るスターリンの姿が不気味。
一番脳裏に染み付いた図は赤十字。
タチヤーナが自分の部屋のドアを見分けるために書いた赤い十字の印⇔錆びた鉄パイプで作った墓碑の十字⇒筆者は、タチヤーナはこれにキリスト教的な意味合いは持たせていない・・が戦地に置いてともすれば被害も出たという悲しい標的の歴史があったらしい。⇒タチヤーナが修正後悔する事になった「捕虜名簿の書き換え」と捕虜というものに対する国の考えが作品の最大の関心テーマとして残った。
生きて虜囚の辱めを受けず―捕虜になったモノは国家の裏切り者である・・まだまだ、この問題は日本は無論、ウクライナ問題とロシアに取り組んでいく時点で答えを見つけて行かねばならぬ。
21世紀は20世紀の「戦争の世紀」のあとに続く平和の時間とする・・なるはずだった。がロシア侵攻を基に書くと第三次大戦のタイムスイッチが押される恐怖の時間に有る今だ。終戦記念日で必ず言われる「語り継ぐ人々が消えて行く」中で、私達は記憶を引き継いでいく義務がある・・と。翻ってタチアーナはアルツハイマーの自分を「神様のやさしさの影だ」と居直った。「あたしゃ、何も忘れはやしないよ」と。