生きているだけですばらしいというメッセージを送り続ける
適応障害を起こす人の多くに「〜ができる自分は優秀」という条件的考え方が見られます。うまくいかないことがあると二分思考が働いて「優秀でない自分はだめ」だと自分を否定的に見るようになるのです。
生きることに条件をつけて肯定することはやめる
と
...続きを読むくに自殺企図が見られる人では、こうした傾向が強くなっているように感じます。
人は本来、生きていることそのものに価値があります。しかし家族は本人に対して、条件付きの肯定をしてきたのではないでしょうか。
子どもが誕生したときには、生まれてきてくれただけで喜びだったのに、期待はどんどん膨らみます。
初めは「優秀であること」は豊かで楽しい生活を送るための手段だったのに、いつのまにかそれを目的として語るようになります。最終的に「優秀でなければ生きる意味がない」という価値観にすり替わっていくのです。
夫婦間でも同様です。
こうした価値観を持てば、パートナーにも条件付きの肯定をしてしまうものです。
生きていることは無条件にすばらしく、それ以外のすべては「飾り」にすぎないのではないでしょあか。
どこかで価値観が逆転していないかを振り返ることも大事
もし「ーができる人」「優秀である本人」に価値を置き、それを求めてきたのであれば、これを機に(なにもできなくていい」「生きていてくれさえすれば十分」という、人間本来の価値を認めるメッセージを送ってみてください。
子どもが生まれた時の、「元気に育ってくれさえすればいい」という願いや、結婚したときの「ただ一緒にいたい」という思いを振り返ることが大事です。
適応障害という病気は、こうした家族の価値観を見直すよい機会になるはずです。