今からちょうど1年前、元号が平成から令和に変わった。盆や正月と同じ全国的な娯楽イベントだったように記憶するが、その水面下で、当事者たちには浮かれる暇などなかった。
政府や国会は絶対極秘扱いの新元号選定作業に加えて、近代日本では例のない天皇の生前退位も検討。それをスクープしようとするマスコミと騒ぐ保
...続きを読む守派や専門家たち。皇室も含めて様々な団体が意見を言い合い、令和初日の2019年5月1日を迎えたのだ。
特にもめたのは新元号発表、新元号初日、天皇退位、この3つの日にちの決定。3つをすべて同じ日にすべきか、どれもバラバラにすべきか。歴史や社会の混乱を考慮し、意見が分かれた。そして、一番重要視されたのは、Windowsのバージョンアップ予定日だった。新元号に対応するITシステムのことが歴史や思想、主義よりも優先される。これが今の世の中なのだ。
そんな一例もあり、多くの人が苦労し、多くのコストがかけられて、たどりついた新元号選定と発表。しかし、そこまでして新元号に意義があるのかという疑問もある。いっそのこと元号など使わず、西暦を使う方がよけいな波風も立たず、日本社会にとっては幸せじゃないのか。そんな不敬なことを考えなくもない。