教育投資の効果は大きい――学歴が上がれば賃金も増える。その理由は、高い教育を受けることで仕事の生産性が高まり、その生産性に応じて賃金も上がるから、ではない。そうではなくて、教育の「シグナリング」効果こそが賃金を高めてくれるのである。
「シグナリング」は本書のキーワードだ。教育を受けることで(というか、卒業証書を手に入れることで)、学生は自分が「知力・真面目さ・協調性」を備えた人物であると示すことができる。なぜなら、こうした能力が欠けていたら無事に学校を卒業できなかったはずだからだ。これがシグナリングである。
教育についてのもっと素朴な見方は人的資本論と呼ばれる。学生は学校教育をつうじて多くの技能(人的資本という)を身に付ける。しかし、著者はこの見方に批判的である。高校や大学では仕事に役立つ技能をほとんど教えないし、学校教育は学生・生徒の知力をさほど高めるわけでもないからだ(2章)。それにもかかわらず、企業は「学位」を持つ労働者に高額のプレミアム賃金を支払う(3章)。シグナリング理論はこの現象をもっとも単純明快に説明できる(4章)。
では、実質的な中身のない学校教育など受ける意味がないのか?そうではない、というのが著者の主張である。学校教育がシグナリングであっても、学位を取れば賃金が上がる。個人レベルでは学校教育から大きな恩恵を受けるのだ(5章)。しかし、学校教育が実質的な価値をともなわないならば、政府による教育支出は社会的に見て大きな損失である(6章)。ここでの議論のために、著者は教育にまつわる費用と便益を注意深く数え上げながらシミュレーション分析を行なっている。以上の分析を踏まえれば、論理的に以下の結論が導き出せる。政府が教育支出を減らせば、社会厚生が改善するのである(7章)。社会的な投資効率を高めるためには、カリキュラムをスリム化し(不要な科目をなくし)、職業教育を充実することも有効な方策となる(8章)。
本書のタイトルを見て誤解してしまうかもしれないが、本書の主張は「学校教育を受けるべきではない(大学へ進学するべきではない)」とか「質の高いオンライン教育が増えている中で、大学は教育カリキュラムを改革・拡充するべきだ」といったものではない。
本書での著者の主張は2つに集約できる。
①学校教育の多くはシグナリングでしかなく、個人レベルでは大きなリターンをもたらしてくれても、社会的には無駄が大きい。
②資源を有効活用するために政府は教育支出を削減し、可能であればゼロにするべき(場合によっては教育に課税してもよい)。
読みやすい文章でスラスラと読み進めてしまうのだが、統計的な議論などはやや難しい。それでも全体として議論は分かりやすく、著者が根拠として示したデータや研究には説得力がある。けれども、教育支出削減という著者の提案を抵抗なく受け入れられる人は少ないだろう。著者が嘆くように、多くの人にとって「魂を涵養する」教育は聖なるもので、お金の問題ではないのだ(9章)。教育にたずさわる多くの人に本書を読んでほしいが、教育政策にかかわる人には特に本書を手に取ってもらいたい。色んな議論のきっかけになると思う。