哲学的で禅問答的な内容を予想していたが、やや拍子抜けするほど具体的、実際的な本だった。「観客を珍しがらせるには」等、何か昔のハウツー本のようにも感じられて少しだけ味気ないなと感じたことは否定できない。けれど物事を極めようとすれば、観念的な理解に基づいて行動レベルにまで落とし込まれている必要があるとい
...続きを読むうことは、わたしにも何となく分かる。ここまで具体的であることにこそ意味があるのだと思う。
特に印象に残ったのは3つの点。一つめは「秘するからこそ花であり、さらけ出してしまえばたいしたことはない、しかしだから秘伝はつまらないものだという者は秘伝の価値を分かっていない」という記述。なるほど確かに、女優さんに「美の秘訣は」と尋ねたって、だいたい返って来るのは簡単な答えばかりで「え〜、それだけなわけないでしょう」となることが多い。かなり俗っぽい納得の仕方だが、要は核心にあるものは単純なもののことが多いのだろう。
もうひとつは「花とは珍しさである」という記述だ。「珍しさ」を観客に感じさせることこそ大事だ、と何度も説き、そのためには(後にくるものを際立たせ、珍しいと思わせるために)手を抜いて演じる必要があることもある、とまで言っている。普遍的な美についての講釈を期待してしまっていたので、正直「えっそんなことなの」と感じたが、「珍しさ」は「新鮮な驚き」と言い換えられるかもしれない。そうするとわたしにもいくらか理解し易い。
人の心には、昔も今も「驚き」が必要なのだろうか。何でもかんでも「新しいこと」がよしとされ、今までにあったものは「つまらない」「凡庸」と切り捨てられる今の時代。それにずっと違和感を感じていたが、確かに「今までにあったもの」を面白い、美しいと感じる時は、その中に今まで気づかなかったポイントを発見して「驚いて」いるよなあ、と思った。「驚き」とは「喜び」なのかもしれない。
3つめは、「怒った烈しい風体を演ずる時には、反って柔和な心持ちを忘れてはならない。…優美な物真似を演ずる時、強い道理を忘れてはならない」という記述。体を使う時には同時に心を使うこと、常に時計の分銅のように自分の中で体と心とのバランスをとること。これは何をする時にもあてはまる普遍的なことばだと思った。