本書はソーシャルメディアにより各種紛争がどのように変化していったのかを詳細なインタビューや取材からあぶり出している。
本書で焦点とされたのは
・ガザ地区でのイスラエルとハマスとの紛争
・クリミア併合におけるロシアとウクライナの紛争
・マレーシア航空17便撃墜事件の真相
・IS(イスラム国)の紛争
・テロとの戦い―ISとアメリカによるサイバー空間でのせめぎ合い
などだ。
現代の戦争はどのナラティブ(物語)が国際的な世論や人々の共感を得ることができるかが最も重要となっている。そのナラティブを発信する最も重要な武器がソーシャルメディアだ。
例えば、イスラエル軍によるガザ地区への空爆の状況を現地に住むパレスチナの少女がTwitterで実況し国際的な世論を親イスラエルから反イスラエルへと変えた。
少女はイスラエル軍の攻撃に対して、写真とメッセージで戦ったのだ。
「生まれてから、三度の戦争を生き抜いてきました。もうたくさんです」
「これはうちの玄関の前で爆撃された車です」
「子どもを空爆してはいけないとただ世界に伝えて」
このようなソーシャルメディアのメッセージによりイスラエル軍は圧倒的な戦力によりガザの戦場では「勝利」したが、国際的な世論では「負けた」のだ。
イスラエル軍もソーシャルメディアの圧倒的な影響力を理解し、軍の中にソーシャルメディア担当者を置きイスラエル軍の正当性を発信した。
「ハマスはガザ地区の住民を人間の盾にしている」
「ハマスは世界中から得た支援金をテロを起こすための地下トンネルの構築の為に使っている」
「ハマスはテロの拠点をわざと病院や学校の近くに設置している」
イスラエル軍はこのようなメッセージを発信するも、担当者は言う「我々がいかにイスラエル軍の正当性を主張しようと、爆撃で殺害された子供の写真にはかないません」。
ソーシャルメディアにより戦争は新たな戦いに突入した。強力な兵器を有する国家が必ず勝つという時代はもう終わってしまい、今はナラティブ(物語)で戦う時代になった。その戦場では、国家同士が戦うのではない。個人同士が戦うのだ、しかも一個人が銃を持って戦うのではない、スマートフォンを持って戦う時代へと変貌しているのだ。
この本で描かれているのはガザ地区やクリミアやシリアと日本人から見れば遠い場所でのできごとかもしれない、ニュースで見るくらいしか名前を聞くことすらないだろう。
しかし、僕たちにとっても決して他人事ではないし、ある意味においては、もうすでに経験しているのだ。
2016年2月に投稿された匿名ブロガーによる「保育園落ちた日本死ね」のブログが国会で取り上げられるほど話題になったのはたったの3年前のことだ。
もちろん、このブログは当時の日本の児童保育環境の悪さを訴えたもので戦争とはなんの関係もないが、このブログのように国民の共感を得られれば、一個人がこれほどの影響を与えることができることが明らかとなった瞬間だった。
しかし、ちょっと想像して欲しい、もし日本が現在戦時下でこのような民衆の声を代弁するような非常に巧妙に作られた偽のメッセージが悪意を持って流布されたとしたら。
この状況が、現在イスラエルやパレスチナ、ロシアやシリアなどでごく当たり前に行われている。
ロシア政府は、偽情報、それこそ『フェイクニュース』をブロガーや一般人を大量に雇って親ロシアなナラティブを大量に生み出しネット上に溢れさせ、イスラム国は心に不安を持つ若者に対して、計算し尽くされた方法でネット上から忍び寄る。
僕たちが何気なく毎日使っているソーシャルメディアが世界を誰も想像ができなかった未来へと変えていっている。
それが僕たちのいるこの世界の現実なのだ。