道徳や善悪の起原を進化に求める考え方を平易に解説。メタ倫理学では道徳の基準について客観説,主観説が対立。進化倫理学では要するに「情けは人のためならず」が倫理・道徳の根拠だとする。
それぞれの生物種において,生存・繁殖にプラスとなる特徴が子孫に受け継がれて広まっていく,というのが進化の基本的仕組み
...続きを読む。突然変異は偶然に左右されて起きるが,そのときの環境の下でより有利な形質・行動をもつ個体が多く子孫を残す。この自然淘汰で進化が起きる。
実はこれってかなり素朴な考え方で,実際には生存に有利不利とは無関係に進化が進むということも確かめられてきているのだけど,この本はその辺の事情は一切抜きで分かりやすさ重視で話が進む。
少し自省してみると分かるように,人間は,理性よりむしろ感情・感覚の「快」「不快」によって行動する。我々は基本的に自分が生存・繁殖する上で利益になるものに「快」を,不利になるものに「不快」を感じるようにできている。そうなるように進化してきたといえる。
体のつくりや特徴といった形質だけでなく,行動の特性も,同様に進化してきたんだよ,というところがポイント。人は基本的に「快」をもたらす行動を選択する。逆に「不快」をもたらす痛みや苦痛は,それを避ける行動を喚起する。その行動が生存・繁殖の利益につながるからだ。
血縁者や異性に愛情をもつのも,その感情に基づく行動(生存のための資源を分配する等)が,自分と遺伝子を共有する者の利益になるがために,獲得された性質。反対に嫌悪や憤怒も,それに基づく忌避,攻撃という行動が,自己に有利であるために,自然選択されてきた感情といえる。
愛情とか嫉妬に関しては,配偶者防衛というのが面白い。哺乳類では,オスにとって配偶者の子が自分の子である確実な保証がない。子の養育にオスが資源を投入する種では,生まれた子が実は他のオスの子だったという事態を避けるため,配偶者防衛の行動が生じる。人間もこれにあてはまる。
自分の利益に必ずしも直結しない互恵的利他行動というのも進化してきた。サルの毛づくろいのように,自分でできないことをしてもらって,自分もしてあげる。つまり利他行動の交換。人間では「おもいやり」とか「同情」という感情に基づいてこの種の行動が行なわれる事が多い。
見知らぬ人に対してなど,必ずしも見返りが期待できない場合にも,「おもいやり」や「同情」は芽生えるが,これは「利他性質の広告」としてやはり自己に有利な行動であると解釈できる。どんな人にも利他的に振る舞うという一般的性質を周囲に知らせて,互恵関係の可能性を広げられる。
また道徳は,誰の立場からも要請される「利益獲得の方法・セオリー」として社会的に進化してきた規範である。「人を殺してはいけない」という道徳は,殺人が相手側との互恵関係を損ない,周囲一般との互恵関係構築が阻害され,不利益となるために成立する。
人間は個体が一人一人ばらばらでは生きられず,役割分担して社会に依存せざるを得ないから,道徳とか善悪という概念が,そのようにして進化してきた。そしてさらにその道徳を法が補完して,現代社会は成り立っている。
なかなか面白い考えだ。本書は人間を中心に書いてあるが,そうすると,動物にも少なくとも快不快の感情はあるような気もしてくる。どんな動物も刺戟に対して何らかの行動をとるわけだが,それは快を追求し不快を回避する行動になっていると考えるのが自然だ。
その快不快が,嫌悪とか愛憎とか道徳とか正義とかに「進化」していったのは一体どういうわけだろう。というかそもそもそれらの違いって何だろう?どこにもはっきりした線は引けないような気もする。本書は「入門」ということだが,進化倫理学ではもっと深い研究がされているのだろうか。
進化論の分野では,本書の前提するような超素朴な進化論はもちろん,20世紀後半に主流だったネオダーウィニズムも克服されつつあるようだが,そのあたりと進化倫理学の関係も興味があるなあ。巻末に関連書の紹介があったから,日本語のを少し読んでみようかな。