筆者の安東量子さんは、広島のご出身であるが、福島ご出身の方とご結婚され、開業のために福島県いわき市の山間部にお住まいになっていた時に、震災を経験される。
現在、「ETHOS in Fukushima」という団体の代表を務められているが、その団体のHPには、団体の目的が下記の通り記されている。
【引用
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原子力災害の福島で暮らすということ。それでも、ここでの暮らしは素晴らしく、よりよい未来を手渡す事ができるということ。自分たち自身で、測り、知り、考え、私とあなたの共通の言葉を探すことを、いわきで小さく小さく続けています。
【引用終わり】
この文章の中に言及されており、また、本書「海を撃つ」の中でも記述があるが、安東さんや仲間たちは、いわき市の北側の末続地区という場所で放射線量を測る活動を長年続けてこられ、また、「共通の言葉を探す」ために、「ダイアログ」という名の、対話のための集会を続けてきておられる。
ETHOS(エートス)プロジェクトのHPには、その末続地区での活動(アトラスと呼ばれる)にかかるレポート「末続アトラス2011-2020」のPDF版が掲載されている。上記の末続地区での放射線量測定のPJは2020年で一区切りとなったが、その間の活動の内容等がこのレポートにまとめられている。2022年10月発行、140ページに及ぶ長いレポートである。
そのレポートのあとがきの最後に、安東さんは下記の通り書かれている。
【引用】
自分自身も被災地に住む人間の一人として、つらかった出来事が薄められていくことは希望に違いないと思う。
だが、そのことが、事故が起こった背景にある社会の欠陥をも同時に忘却されていくことになるのでは、事故後の苦労も骨折り損となってしまう危険性がある。平穏を取り戻すと同時に、教訓を深く刻み続けること、この相反するふたつの動きを両立させることは簡単ではないのは確かだ。この記録がその一助になってくれることを願っている。
【引用終わり】
「測る」こと、測り続けることが、末続地区の人にとっては、ある種の「平穏」を得るための一助になった。しかし、平穏を得たからといって、原発事故が起こり、そして、住んでいた土地を追われたり、あるいは、住んでいた地域が崩壊に近い危機を迎えたりしたことの、そもそもの原因や対応のまずさについては忘れてはならず、それを、このようなレポートの形で残しておきたい、という意味であろう。
本書のあとがきに安東さんは、震災の後、「誰かを助ける力が欲しい、痛切にそう願った」と書かれている。その願いは実現しているのではないか。