インドのラダックというところに行ったスウェーデンの人のお話。
経済成長、科学の進歩が正義という神話はフィクションで、人間が作り出したもの。
この神話が抱える自滅への道は、みんなうすうす分かってるんじゃないかな。
人と人、人と自然との繋がりを取り戻すことが、持続可能な社会を作るためのカギ。
そして、そ
...続きを読むれが“人間らしく”生きるということなんだろうな。
・ラダックの人たちはそれぞれの仕事を成し遂げるのに、ほんの簡単な道具だけを使い、とても多くの時間をかける。
緊密な関係の上に成り立っている共同体の一員であることが、深い安心感をもたらしている。
・どの農民も完全に近い自給自足をしているため、自律性が高く、共同体としての意思を決定する必要はほとんどない。
・いかなる裁判制度も完全ではありえないが、住民同士が話し合い、草の根レベルで問題解決を可能にするような、緊密な関係で結ばれた小規模の共同社会に基づくほど効果的なものはない。
・百戸を越えるような大きい村はまれなので、相互依存の関係を直接体験できる程度の規模の生活になっている。全体像がつかめ、自分自身がその一部である社会の構造やネットワークが理解でき、自分の行動がおよぼす影響が見えるので、責任を感じることができる。
・ラダックの人々は幸運にも、個人の善が共同体全体の善と矛盾しない社会を受け継いできた。ある人の利益はほかの人の損失を意味しない。
・日常的に関係が持てる規模が柔軟性を許容している。
・一妻多夫性が望ましい結婚の形態であるとはいえ、おもしろいことにそれだけが唯一の形ではない。こうした通常と違う形態は、おそらく少ない資源への慎重な適応の表れだろう。共同体の中の関係を柔軟に保つことによって、土地との関係を最適に維持することが可能になる。
・小さな赤ん坊から曾祖父母まで、あらゆる年齢層に囲まれて育つ。子どもは助けたり助けられたりという交換の連鎖の大きな関係の中で、ひとつの役割を担って大きくなる。
・ラダックの老人は、いくつになっても引きこもったり、用なし、ひとりっきりになることはない。死のその日まで、村の社会の重要な一員なのである。
・彼らは物事はこうでなければならないという考え方に固執するより、むしろ物事をあるがままに積極的に受け入れる能力が身についている。
・ラダックの人ほど落ち着いていて感情的に健康な人たちを、今まで私は見たことがなかった。そのいちばん大きな要因は、自分自身がより大きな何かの一部であり、自分はほかの人や周りの環境と分かちがたく結びついているという感覚である。
・意外にも、おそらく近代化は個性の喪失へと導いている。人びとが人目を気にし、自信を失うにつれ、理想化されたイメージに見合うように順応せざるをえないと感じる。
・古い文化は人間の基本的な欲求に応える一方で、自然の限界も尊重した。それは自然にとっても人間にとってもうまく機能していた。
・共同体や大地との親密な関係が、物質的な富や技術的な洗練などを超えて、人間の生活をとても豊かにすることができるのだということを知るようになった。