能と茶という、芸道の世界でそれぞれ深い精神性を示した世阿弥と利休をとりあげ、彼らが同時代の権力とどのように切り結びながら生きたのかということを論じている本です。
著者は、世阿弥と足利義教、利休と信長・秀吉の関係に注目し、芸道と権力の「共生」のありかたについて考察をおこなっています。そのさい、たんに
...続きを読む世阿弥と利休、義教と信長・秀吉を、それぞれ芸道と権力の代表者としてあつかうのではなく、権力者の側にも芸道についての深い理解があり、反対に世阿弥と利休にも権力に近づきその影響力の圏内にみずからの活動の場をもつことをいとわなかったと論じられます。
このような関係を、「反共生」をふくんだ「共生」として考察することが本書のもくろみです。著者は、他者と共生する空間において他者に出会うことが、「自己の内なる他者」を映すことであるという哲学的な議論を背景にして、世阿弥と利休のそれぞれの生きかたとそこに示された深い精神性についての考察を展開しています。さらに「結語」の章では、こうした世阿弥と利休の生きかたが「遊」というキー・ワードのもとで把握しなおされており、「遊」が俗世を突き抜けて深い宗教的境地へと貫入するような空間を切り開くということが論じられています。
著者の考える「共生」という概念について、やや説明不足の感もありますが、世阿弥と利休の精神性について、哲学的な議論の水位にまで達するような掘り下げた考察が展開されており、スリリングな内容だと感じました。