何年か前にとっていた朝日新聞の広告欄に本書が掲載されていた。それ以来表紙に強く印字された「遺言」のワードが、ずっと心の隅に引っかかっていたように思う。
はじめに、「(瀧本氏は)とんでもない大声だ」とまえがきに記されていた。講演映像を観ると当時94歳とは思えぬ程に姿勢が良く、確かにお声も大きい。ノイ
...続きを読むズの混じった画面越しでもはっきりと聞き取れた。
そしてその講演や本書にて「皆さんに語るのはこれが最後になるかもしれない」としきりに繰り返されており氏の一言一句を噛み締めるような訴えは、我々への「遺言」であり警告にも聞こえた。
徴兵された多くの若者が戦死した事実を我々は学ぶが、その元凶は軍の内部にあったのでは?と思わずにはいられない。時には命を落とす者も出た体罰に、古参兵からの度が過ぎたパワハラ。
上官からは「貴様らが死んでもはがき1枚ですぐに補充できる」と存在を軽視される。戦前の時点で既にその有様、やがて若者は次々と戦地へ送り込まれる。飢餓に苦しむ兵をよそに上官らは銀飯を食む…もはや敵味方の見境がつかなくなっている。
「えらいひとにとってたいせつなのは自分のいのちだけだからね。自分以外のいのちは消耗品」
「実際は日本の本部から見すてられたときにもう殺されておるんです」
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦といった歴史的瞬間、それらの現場にいらっしゃった事やそのお話を伺える機会には只々感謝するばかりである。ミッドウェーなんか正確な敗因をイマイチ理解できずにいたから、それを直接肌で感じられた氏の話は貴重であるばかりか、真実を知る第一歩にもなった。
氏をはじめとした生存者らが口封じのため監禁、のちに最前線に送られていたなんて、他にどこで知り得ただろうか。
瀧本氏は20歳の徴兵検査を待たずして17歳で海軍に志願された。将来は兵隊に行くものだと思われていたというが、早く入隊すれば昇進も早いだろうと就職感覚で決められていたのが意外でもあった。
そして行きの汽車で流された涙の事を知って、死をも恐れない軍国教育を盲信しきっていた訳ではなかったと、ほんのわずかだが安心した。
過去には「過激」「聞くだけ無駄」と非難され、語り部活動を中止された事もあった。
そうやって避け続けてしまえば、最後に聞いた言葉が本当の本当に「遺言」となってしまう。真実を知るチャンスが永遠に失われる。その想像すら出来ないでいるのか。
「国を守るとか大きなことを考えないでほしい。ひとりひとりが幸せを守ってほしい」
遺言、すなわち瀧本氏が「命を削り、絞り吐き出した言葉たち」。幸せもろとも守らなきゃいけない。