著者の浅山太一氏(1983年~)は、関西創価学園高校、創価大学出身の生粋の創価学会員で、書店員を経て、現在は出版社に勤務しながら、創価学会をめぐる社会学を研究している。
著者は、①社会にとって、政権与党に参画するまで巨大な影響力をもつ創価学会という集団の組織原理や内部事情がブラックボックスになってい
...続きを読むることはリスクである、②創価学会にとって、議論が(学会の)内と外で閉じていることは好ましくない、という問題意識に基づいて、社会と学会の双方が創価学会と公明党というテーマをともに論じるための足場を構築することを目指して本書を書いたという。
宗教団体の内部の人間の著書というと、その団体の全てを肯定し、外部の人間からはなかなか受け入れ難いものか、何らかの理由で脱会したことにより、その団体を極めて否定的に語ったものが大半だが、本書は、「生れた時からずっと。たぶんこれからも」創価学会員であると語る著者が、学会への批判的な眼を失わずに語ったものであり、さほど構えることなく素直に読み進めることができる。
著者の考察は概ね以下である。
◆創価学会は、1950年以降、急激な工業化を背景にした農村から都市への人口移動により急増し、村落共同体からも企業別組合からも疎外された都市下層住民たちを取り込み、「新しい村」として機能した。しかし、70年代に社会が安定化すると、企業と核家族に彼らを吸収され、会員数は伸び悩んだ。
◆一枚岩と思われがちな創価学会という組織にあって、公明党支援という活動については様々な見解が併存している。創価学会の公式メディア上では、公明党支援を信仰活動として描くことについては極めて慎重な配慮がなされている。
◆「聖教新聞」は広宣流布(法華経の教えを広く宣べて流布すること。創価学会の教義のひとつ)の指導者である池田大作から会員への日々の激励の手紙であり、「聖教新聞」に掲載されたものは、池田大作の公認を得たものとして会員には受容される。
◆第二代会長・戸田城聖が推進した政治進出の目的は、国立の戒壇(僧になることを時の権力者から公式に認めてもらう場所)を建立するために、国会での過半数の議決を取ることであり、よって政党を結成する必要はなく、会員の政治的自由にも干渉することはなかった。
◆その後の政治参加は、全ての社会事象の根底には宗教があるという観念(=宗教還元主義)に基づく、日蓮仏法という唯一の正しい宗教を唯一保持した創価学会という自分たちによる世界変革運動における、政治領域における展開といえる。
◆現在の与党化した公明党の支援の内的論理は、創価学会の意思はすなわち仏の意思であり(=創価学会仏)、学会員は存在するだけで周囲を平和にすることができ(=存在論的平和主義)、公明党は池田大作によって作られた日蓮仏法をもとにした政党であるのだから(=宗教政党への回帰)、たとえ軍事介入政策を容認したとしてもそれは苦悩の末の判断であるから武力行使ではなく(=知恵の原理)、そうした同士を信用できないメンバーは本当の味方ではなく(=仏法優先原理)、もし現在の組織の決定と過去の三代会長の著作の内容が異なるのであれば真実の弟子が時代に合わせて文章自体を変更することができる(=弟子の聖筆論)、とまとめられる。
学会外部の人間にとっては、歴史を深掘りした部分などやや重たい内容もあるものの、創価学会の組織原理・歴史を知る上では有用な一冊ではないだろうか。
(2017年12月了)