作品一覧
-
4.3アメリカ海軍日本語学校への入学が人生を変えた──日本文学の泰斗はいかに日本語を学び、それを生涯の仕事とするに至ったのか。思い出の詰まった教科書を前に、自身の原点を語る。 もし海軍日本語学校に入らなかったら、日本文学者になることはなかった――日本文学の研究者、翻訳者として世界的に知られるドナルド・キーン氏は、自らの分岐点についてこう語る。彼に日本語、日本文学との決定的な出会いをもたらしたのは、皮肉にも大嫌いな戦争だった。本書ではインタビューを通じ、彼の日本語との出会いから学習の過程、さらに研究者、教育者としての姿に焦点をあて、日本語とともに歩んだ人生を見つめ直す。 キーン氏は日米開戦直後の1942年2月に米海軍日本語学校へ入学。翌年1月までのわずか11か月間に、仮名と漢字はもちろん、日本軍の命令・暗号解読に必要な文語やくずし字の読み方まで学んだという。その効率的な学習を助けたとされるのが、戦前の米国大使館で日本語教官を務めた長沼直兄による『標準日本語讀本』である。本書では、70年ぶりにこの教科書と再会したキーン氏が、実際にページを繰りながら当時の思い出を語った。19歳だった彼は、この教科書で初めて芥川龍之介や菊池寛の文章に触れたのだ。 インタビューの聞き手となるのは日本語教育を専門とする河路由佳氏。貴重な資料や教え子たちの証言から、日本文学の泰斗の原点に迫る。
ユーザーレビュー
-
Posted by ブクログ
ドナルドキーンさんは、時々TVで見かける日本通の方というイメージだった。
その程度の認識だったので、東日本大震災後に日本国籍を取得する決心をしたという報道をニュースで見た時「なんでこんなことがニュースになるのだろう?」と思った。
今回生前にドラルドキーンさんとのインタビューを収めた本を読んで、キーンさんの半生。コロンビア時代に日本語に興味を持ち、機会を得て海軍の日本語学校で日本語を学び、太平洋戦争では日本兵の日記などを読み、日本軍の次の作戦を調べたり、日本兵の聞き取り調査を実施したりした。と言う話は全く知らない話だったので驚いた。(自分が子供の時に放送したNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」の世界だ -
Posted by ブクログ
キーンさんがインタビューに答え、自分の日本語修行だけでなく、先生、テキスト、教え子だけでなく、日本文学をはじめとする学問とのかかわりを語ったもの。インタビュアーは,日本語教育学専攻の東京外大の河路さん。河路さんがインタビュアーを引き受けるきっかけになったのは、キーンさんが使っていた長沼直兄のテキストが、長沼学校から東京外大に寄贈され、それを整理していたことからだそうだ。この長沼学校、ぼくは1980年頃日本語教育学会の研究例会で発表をしたあと、そこの浅野鶴子先生という方に案内され訪れ、紀要までもらったことがある。浅野先生にはとてもかわいがっていただいたが、その後ご無沙汰しているうちにお亡くなりに