デンマークの片田舎。本島と地峡で繋がる離れ小島〈頭[ホーエド]〉に住む唯一の家族、ホーダー家。廃品を素材に使った大工仕事を得意とする父イェンスと太り過ぎだが優しい母マリアの元で、娘のリウは学校に行かず父と共に夜な夜な森で狩りをしながら暮らしていた。しかし、本島に移住していた父方の祖母エルセが帰ってきて状況は一変。閉鎖的だが満ち足りた家族の日常をエルセが壊そうとしたとき、イェンスはリウを伴って凶行に走る。何一つ失くしたくないというイェンスの執着が暴走し、静かな狂気に包まれたホーダー家は救われるのか。家をゴミ屋敷にしてしまう人の心理に迫ったデンマーク発のスリラー。
タイトルの『樹脂』は作中でイェンスが大事に持っている蟻入り琥珀のことであり、そこから着想を得た死体の保存方法にもかかっていく。どろりと重たい蜜のような愛情が家族を包みこみ、窒息させるまで追いこんでいくというメタファーでもあるだろう。妙に淡々と、それでいて着実に進んでいく狂気の描写もゆっくりと浸み出し垂れ落ちる樹液を思わせる。
本文はリウの一人称視点、マリアからリウへの手紙、イェンス/エルセ/ロアルに寄り添った三人称視点が入り混じる多声的な構成。イェンスの暴走を止められず、自身も娘が盗んだものと知りながらそれを食べ続けたマリアの手紙が、父と母を唯一の〈世界〉だと信じこんでいるリウの憐れさを強調する。ロアルはリウが食料を盗みに入る宿のオーナーなのだが、その状況から幼いリウを救おうと行動を起こしてくれるまともな人(でも一人で行かずに児相に連絡してほしい)。終盤は彼がホーダー家に潜入するサスペンスとそこからの逃走アクションが繰り広げられるのだが、リウもまた狂気に取り憑かれた者だとわかる最後の一文のキレ味がすごい。この小説はこのラストのために読んだ!と思わせてくれるようなゾクゾク感は久しぶりに味わった。
老女を窒息死させたあと夜の野で火葬する、赤ん坊を生まれた瞬間くびり殺してミイラにするなどグロテスクなシーンは多いのだが、本当に良い意味で描写があっさりしていて露悪的にならず、生理的嫌悪感がふしぎなほどないのも他にない読後感だと思った。とはいえ怖いところはしっかり怖く、特にロアル視点で見たホーダー家のなかは暗くて狭い上に足元をかけていくウサギたちの生ぬるい感触がぞわぞわする。ベッドに抑え付けられ、解放されたと思ったら人を塩漬けにするためのバスタブを持たされるのも怖すぎる。
家族と死体との共存生活はイアン・マキューアンの『セメント・ガーデン』にも近い。イェンスも上手く大人になれなかった子どものままだったのだろう。「生き物は闇の中で殺すと痛みを感じない」という欺瞞を必要とし、ついには食料の盗みをリウ任せにしてしまうのも子どもっぽい。そんなイェンスの頭の中をトレースしたのがゴミ屋敷と化したホーダー家だったのだろう。
だからといってこの一家は最低最悪なだけでもない。イェンスに教わって作った弓でロビン・フッドのように獲物を仕留めるリウは健やかだと言ってもいいと思うし、森で集めた樹脂を濾過する静かな時間や天井から吊るされた本物のクリスマスツリーなど、憧れのスローライフ的な側面も(笑)。
なぜ彼らの悪事がずっと露見しなかったかは〈頭〉という立地ゆえに人目がなかったことに尽きるので、本作をミステリーと言うのかは疑問だが(作者自身もそう思ってるらしい)、罪が罪と思われなくなるようなある種の聖域がどのように形成されていくか、という視点のホワイダニット/ハウダニットではあるのかも。あ、この既視感、『陰摩羅鬼の瑕』か。今気づいた。