脳神経外科医として死と向き合ってきたポール・カラニシが肺がんになる。
症状から自分ががんであるとわかったときの気持ちはいかばかりであろうか。医師としては患者をひとつのプロジェクトと捉えることで仕事の効率化を図ることができる。しかしそれは一部分でも人間を人間として扱わないことに他ならない。
ポールはそ
...続きを読むれを決して否定はしない。しかし医師から患者へと立場を変化させることでその残酷さを体感することになる。
人として生きることとはどういうことか。生きる意味とはなにか。「がん患者」ポールにとって脳神経外科医の仕事はあまりに過酷だ。睡眠時間も体力も私生活も削って向き合わなければならない。
がんから一旦復活したのになぜ激務に戻るのかはポールにしか理解できないし、ポール以外の人間は理解する必要もない。ただ受け止めるだけだ。
もしかしたら医師としての仕事ががんの再発を促したのかもしれない。しかしポールは後悔しない。
ポールは病を理解し、受け入れた。
それだけの能力があった。
ある人は民間療法に頼り、ある人は宗教に頼る。それも選択だ。その人たちにとっては生の時間を延ばすことだけが生きる意味になる。
それ以外の選択を排除すべきではないのだ。
生きるために生きるという選択肢は、ある人にとってはもはや死んだのと同じなのだ。