2021年に亡くなった夫の半藤一利氏が、亡くなる2年くらい前に、「あなた(末利子)の今まで書いてきたエッセイの中から、夏目家のことを書いた作品だけを選んで1冊にまとめてみたら面白いのではないか」と勧めてくれたことがきっかけで出来上がった1冊。
半藤一利氏の想いと、その言葉を遺言と思って大切にあたため
...続きを読む、ついに叶えた末利子さん自身の想いが詰まっている。
末利子さんは、夏目漱石の孫に当たるが、漱石は大正5年に亡くなっており、末利子さんは昭和10年の生まれだから、直接には漱石を知らない。
夏目家のエピソードの多くは、漱石の長女である、母・筆子さんから聞かされた話や、親戚の人たちとのお付き合いの中で積極的に「ネタ集め」に努めて書かれた物である。
そして、漱石の晩年の弟子であり、筆子の夫となって、大黒柱を失った夏目家の長男代わりを務めた、父の松岡譲(まつおか ゆずる)氏をとても尊敬している事もうかがわれ、「それから」の部分に当然のことながら、松岡家が占める割合も多い。
以前、末利子氏の『漱石の長襦袢』を読んだことがあり、その中にも、漱石の死後に、古参の弟子達と漱石の遺族の間に確執があったことが書かれていた。
なにしろ「弟子たち」は文筆家であったから、漱石夫人の鏡子のことをひどい悪妻であると書いてはあちこちに発表し、それが世間の定説のようになってしまったり、筆子は自分と結婚する物だと思い込んでいた久米正雄が、松岡譲を略奪者のように悪者に仕立て上げた小説を発表したおかげで、娘の末利子まで、世間から色眼鏡で見られたりした事もあったようだ。
そういった、一方的なやられっぱなしがひじょうに悔しく、鏡子も筆子も反論という事をしなかったから、自分が世間からの不当な評価を覆さなくてはという強い思いがあったと思う。
そういった理由で、鏡子夫人がいかに漱石にとって頼もしい妻であったか、父・松岡譲がいかに素晴らしい人物であったかという記述が繰り返し出てくる。
熊本市にある「夏目漱石記念館」を訪問したときにちょうど高校生の団体が入って来て、館長さんが「この方は夏目漱石のお孫さんです」と紹介したものだから、末利子氏はすっかり高校生たちの見せ物になってしまったというエピソードがユーモラスだった。
やはり、父母両方から文学者の血を引いているせいだろうか、とても読みやすかった。