作品一覧 2021/03/25更新 グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀 試し読み フォロー 超国家主義の論理と心理 他八篇 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 古矢旬の作品をすべて見る
ユーザーレビュー グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀 古矢旬 米国は大統領選挙で活性化する 新しいVISION・戦略に挑戦する 「ドル本位制」を堅持し、世界の盟主であり続けるの基本戦略 =「石油本位制」アラブの支持が不可欠 →「DATA本位制」GAFA+M トランプ大統領はシェール革命により脱アラブ親イスラエルへ 反環境で世界の潮流には反旗だが、 バイデン大統...続きを読む領は回帰・国際協調路線へ 双子の赤字[財政赤字+貿易赤字]が重荷だが路線は変えられない リーマンショック後も資産バブルは続いている ITバブルが本当に花を開かせるか 米国の未来はそこに掛かっている バイデン大統領はその次に「環境」を用意 間に合うか? Posted by ブクログ グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀 古矢旬 岩波新書のシリーズアメリカ合衆国史の最終巻。だいぶ刊行が遅れたようだが、無事に出て、まずはご同慶の至り。 待たされた分(?)、内容は非常に濃かったし、勉強になった。著者は1970年代、正確には1973年をアメリカ史の転換点と見る。第1章がその叙述に充てられているが、ここがまず素晴らしく良い。まさに...続きを読むアメリカの衰退の予感、終わりの始まりがこの1970年代初期に求められるという見方には完全同意である。以後、今日まで続くアメリカ社会の変貌は日本の現代史を考える上でも重要なことは論を俟たない。 第2章が「レーガンの時代」、第3章が「グローバル時代の唯一の超大国」、そして第4賞が「21世紀のアメリカ」、と続く。 1961年生まれの自分にとってこの第4巻はまさに同時代史。つい昨日のことのように思い起こされるアメリカ史の流れを碩学の手によって整理され、読めることはありがたい。 さすがに21世紀の話はごく最近の20年なので、やや煩瑣な感じが否めないが、論点がぶれていないので、読みやすかった。 Posted by ブクログ 超国家主義の論理と心理 他八篇 丸山眞男 / 古矢旬 『日本ファシズム の思想と運動』 この論文は、初めて読んだが、日本のファシズム 運動について、担い手とか明晰、明快に分析されている。 『軍国支配者の精神形態』 東京裁判の公判の速記録から分析。 何ら計画性もなく、日本の支配者層が、日米開戦に踏み切ったのは、連合国人を驚かせ、理解に苦しんだ。 枢軸国側...続きを読むで日本に特質的な事は、指導力の欠如である。 2.ナチ指導者との比較 ナチ指導者と日本の戦犯の比較を進める。 ナチ指導者は学歴が低かったが、日本の戦犯は、学歴が高かった。 ナチ指導者は、自覚的に残虐行為を行う。 日本の戦犯は、顕著な無計画性と指導力の欠如により、目的意識により手段をコントロールできず、手段としての武力行使が、ずるずる拡大して行き、自己目的化してしまった。 日本の戦犯ら指導者たちは『弱い精神』の持ち主、弱い性格であった。 "日本支配層を特色づけるこのような矮小性を最も露骨に世界に示したのは戦犯者たちの異口同音の戦争責任否定であった。"(p 162) "被告を含めた支配層一般が今度の戦争において主体的責任意識に希薄だということは、恥知らずの狡猾とか浅ましい保身術とかいった個人道徳に帰すべくあまりに根深い原因をもっている。それはいわば個人の堕落の問題ではなくて後に見るように『体制』そのもののデカダンスの象徴なのである。"(p 167) 3.日本ファシズム の矮小性 その1 既成事実への屈服と権限への逃避。 既成事実の屈服は、自民党のお家芸。 起こってしまったこと、決まってしまったことは、仕方がないというスタンス。 "ここで『現実』というものは・・・(略)作り出されてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起って来たものと考えられていることである。"(p 173) 東京裁判での支配層にいた戦犯の証言を分析して。 皆、責任転嫁し、何処に政策決定の主体があったのかが、わからない。 Posted by ブクログ 超国家主義の論理と心理 他八篇 丸山眞男 / 古矢旬 不勉強ながら丸山眞男を読まずにきてしまいました。戦後10年ほどの論考、講演録を収めたこの本、非常に勉強になりました。「現代文明と政治の動向」は、あたかも今の時代を描いているようにも思われ(登場する諸国などを今の状況に置き換えてみると)、偉大な思想は古くならないことを実感。 Posted by ブクログ 超国家主義の論理と心理 他八篇 丸山眞男 / 古矢旬 戦後間もない頃の政治学論文・講演録集。 最初の方の、戦時中における日本独特の「ファシズム」体制についての分析が面白かった。 漠然とした表象に忠義を尽くし、「みんなで」そこに一新に命を賭す。みんなで、空気のままにやっているわけだから、誰も責任者はいない。強いて言えば全員に責任があるとしか言えない。イタ...続きを読むリアのファシズムとレジスタンスの歴史と比べると明らかに異様な戦時下の日本社会は、なるほど、「誰も責任をとろうとしない」ままに敗戦を通り抜けた。 そして今、福島原発事故に関しても「誰も責任をとろうとしない」ままに、「空気のせい」と言わんばかりの逃避言動がまかり通っている。 こうした無責任な言いぐさは公務員の得意とするところでもあり、いわば「官僚的」性質だ。個人は自らの行為を自己の選択に基づくものとはなかなか認めない。逆に言えば、自分に責任が帰着しないように、うまく間合いをとりながら行動している。 これは「私的な領域」を決して社会と結びつけようとしなかった日本的特質が結果したものだろう。 これのために、現在も無責任でいいかげんな政治が政府内で行われているのだから、困ったことである。やはり何かが、ざっくりと変わらなければ、この国に民主主義は実現しないのではないかという気がする。 Posted by ブクログ 古矢旬のレビューをもっと見る