著者の藤田覚先生が以前、2011年明治維新史学会秋季大会の講演中に「近世幕藩体制に天皇を如何に位置付けるか」ということを話されておりました。
この江戸時代の「天皇」を考える上でも、欠かせない一冊だと思います。
講談社選書メチエで出版された時期が、昭和天皇崩御の5年後ということもあり、歴史学の世界で
...続きを読むも「天皇」について考える流れが始まった時期ともリンクしますね。
主な内容について。
本書の問題関心は、幕末の孝明天皇が頑ななまでに通商条約を拒絶するなどの「政治化」を果たしたのか、という点にある。
要は、いつから江戸時代の天皇・朝廷と幕府の力関係が変化したのか。
そこで、著者が注目したのが光格天皇の頃である。
光格天皇の代には、
「神事や儀礼の再興・復古が集中的に」行われ、「天皇・朝廷の神聖(性)と権威を強化する試みが、主体的にかつ執拗に続けられ」たとされる。
また、「朝廷の権威を求める当時の客観情勢とあいまって、政治、思想、宗教などのさまざまな分野で天皇の存在がクローズアップされ、その政治的、思想的、宗教的権威が強化された」としている。
この光格天皇の時から、「主体的」な天皇が登場したのである。(本書p.p.255〜256)
光格天皇が何故、「天皇権威」の上昇にこだわったのかというと、著者は光格の生い立ち(閑院宮家に生まれ、皇位につく)に触れ、皇統から離れた傍流から即位したために「軽んじられる」天皇と記載された史料もあることから、
傍流出身であるが所以の行動と考えられている。
一般的に光格天皇について知られている尊号事件もこの頃の「天皇権威」上昇にまつわる事件として取り上げられている。
この「天皇権威」が仁孝、孝明と受け継がれ、
幕末の「政治化」された天皇の登場にいたるとされている。
本書の内容は、近年では教科書『詳説 日本史B』などにも取り上げられている内容なので、ご存知の方も多いように思います。
それだけ本書が一般的にも評価されていると言えるのです(幕末部分は、著者の専門時期でないため、この場では割愛)。