えげつない、遊川和彦さんのドラマ(「家政婦のミタ」「〇〇妻」)みたいな、崩壊夫婦の葛藤と、死の物語。
大爆笑の失恋ドラマのような、19世紀最高の振られっぷり、と言いたくなるボーイ・ミーツ・ガール。
ドストエフスキーさん、敬遠するのはホントに勿体ないですねえ。
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ドス
...続きを読むトエフスキーさんというと、矢張り、「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」の四大長編になります。
(茫漠たる昔に読んだ記憶で言うと、読み易いのは「罪と罰」だと思いますが)
なんだけど、「貧しき人々」も「虐げられた人々」も「地下室の手記」も面白かった。ほかも読んでみたいな、と思っていたところで衝動買い。
「やさしい女」と言えば、映画ファンとしてはロベール・ブレッソン監督の映画ですね。なんですが、これ、実は未見なんです。今後の愉しみ。
ロベール・ブレッソンさんは、とにかくドストエフスキーさんが大好きなようで、「スリ」だってほとんど「罪と罰」です。「白夜」も映画化しています。
だからこの本は、ある意味「ブレッソンが映画化した中編をふたつ併せました」という編集になっています。
それはさておき。
「やさしい女」。
かつてそれなりに名誉ある仕事をしていた男性が、おちぶれて、失業者になって、そこから這い上がって、質屋としてけちけちと小さく暮らしています。
その男が、金で買い取るように10代の少女と結婚します。
ほとんど会話もなく、笑顔も無く、淡々と冷たい結婚生活。
その間に、大人しい少女だった妻は、ふてぶてしくなったり、夫をなじったり、浮気しそうになったり、夫を笑ったり。
なんとも愛想なくそんな妻をぶざまなプライドを見せながらあしらいつつ、どんどん仮面夫婦になる。
そして、ある日、妻は飛び降りて自殺してしまう。
少なくとも判りやすい小説ではありません。
どうして?なんで?と思い始めると、そこに真犯人や真相があばかれる快感がある小説では、ありません。
旨く言えませんが、人間関係の温もりのある部分を、
とにかく恐れて自分の殻に閉じこもってしまう、夫。
尊厳とか生きがいとか喜びとか笑いとか、そういうものを奪われて、タダ生きている妻。
自分とそして相手とをまとめて破壊する、まとめて汚すような、自傷行為のような素行。嘲笑う。悪魔の顔を見せる少女。
きっと。多分。
さびしいから妻を買ったのに。相手まで破壊してしまうことを知って、おずおずとわがままに、やり直そうとする夫。
許されることや幸せそうになることを、拒絶してしまったのか。飛び降りちゃう妻。
うーん。
解釈とか、言い出すと大変にムツカシイのですが、解釈することは本を読む喜びの、ほんの数%でしかないんじゃないでしょうか。
そういう風景を眺めることの歓び、と言いますか。
宍道湖でもグランド・キャニオンでも、夕焼けでも富士山でも星空でも、解釈するために観光に行く訳じゃないですものね。
でも、小説としての語り口は大変にエンターテイメントなんです。娯楽的です。
夫の男性の一人称。だれの心の揺れ具合を見つめながら読んで行けばいいのか、大変になんというか、手すりがしっかりした階段です。
ドストエフスキーさんお得意の、なんとも惨めで滑稽な「負け組」男の心理描写が、混沌とした悲劇にいたる。
なんとも茫然な訳ですが、まあ、書き手の心情としてはキリスト教的な考え方もあるはずですから、
とっちらかった、ある意味大変に自由で現実的な島国の21世紀を生きる僕たちが、無理やり「解釈」をする必要はないと思います。
むしろ正直、「いやー、こんなんやったらしんどかろうなぁ」「かわいそうやなあ」「そんなんもありかもなあ」と自分の身の丈の思いで愉しく読んでしまいました。
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そして、「白夜」。
これはまた一気に、書き手も若いんだろうなあ、という小説。こっちのほうは恐らく数十年ぶりの再読なんですけど、当然まったく記憶になかったです。
これまた、少なくとも生きるの死ぬのという話ではないので、娯楽的な愉しみが炸裂する青春恋愛心理小説ですね。
とにかく大都会で、若い男が泣いてる女と出会う訳です。
男はしがない勤め人で、大都会の孤独。友人も無く、不器用に小さく生きているだけ。だけど、ロマンチックが止まらない感性だけは豊かな、まるで小説家みたいな青年です。
女はこれまたしがない労働者で、病気の身内に縛られて幸少なく生きています。
女は、言い交した恋人がいるんですね。熱愛です。まあ、言ってみれば婚約者です。
しかし、婚約者は仕事の都合で1年だか3年だか、別の街へ。「必ず戻ってくる。ここで会おう」みたいな。遠距離恋愛。電話もLINEも無い時代。
で、その約束の時期になったけど、婚約者が来ない。この町に帰っているという噂だけど、来ない。手紙を出しても梨のつぶて…。
そんな身の上を聴いて、青年は同情します。
でも当然、あわよくば、な訳です。このまま戻ってこなければ、なんです。
そして、事態はそうやって進みます。
「もういいわ。彼のことなんかもう愛していない。あなたと愛し合って生きていきましょう」。
手に手を取って、新しい人生へ歩き出したその瞬間に。あっ! とすれ違ったのが。その婚約者。
ただの行き違いで、婚約者はずっと彼女を愛していて、やっと現れたんですね。
と、その瞬間。
主人公の青年の腕の中から、彼女はスッっと抜け出てしまう。
あああっ…という間に、婚約者の腕の中に。「ごめんなさい」。
この鮮やかな。「恋愛の、ごめんなさいツバメ返し」とでも言うべき、水も漏らさぬスパァンッ!という切れ味。
もう、これだけでもタマラナイ小説ですね。
なんてえげつない。なんてドベタに判りやすい。
美しい。というかもう、笑うしかない。大爆笑。いやあ、痛いです。
もう、ほんとに「男はつらいよ」シリーズの、車寅次郎の振られっぷりの、原作がココにあるんじゃないだろうか、という素晴らしさ。
ドストエフスキーさん、やっぱり面白いですよねえ。
まだまだ未読の小説もありますし、再読するのも愉しみです。
※ちなみに、「ドストエフスキーさんを初体験する上で、何から読んだら良いのか」という問題は実に奥深いですね。
それだけで大いに楽しく酒が飲めそうです。
無論、読み手側のタイプによるんですが、僕は「虐げられた人々」「貧しき人々」「地下室の手記」あたりかなあ…と。「罪と罰」もあり得るか…。
間違っても「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」はマズイと思います。キリスト教がらみの神学的な言葉と問答が多すぎますから。
そういうのをざっくり読み飛ばしても、残った物語で十分にオモシロイのですけど、
そういうのをザックリ読み飛ばすことがなかなか、難しいですからね…。