東京復活大聖堂と言ってもピンと来ないかもしれない。
東京・駿河台のランドマーク・ニコライ堂の正式名称だ。
聖堂にその名前は残っているものの、この聖堂を建立した
ニコライとはどういう人物だったのか。名前だけが残されて
少々忘れ去られたような存在だった宣教師ニコライと、彼が
日本に正教の伝道に訪れた時
...続きを読む代の日本とロシアを描く。
日本にロシア正教を根付かせようと北海道へ上陸を果たし、
日本語と日本文化を勉強し、聖堂建立の為に一時帰国した
ロシアで資金集めをし、伝道の為に日本を縦断する。
副島種臣や後藤新平と交流し、信者からの金の無心に苛立ち、
ロシアへ留学生を送り込んでも日本帰国後は正教から離れる
者の多さに頭を抱える。
日露戦争が始まると周囲の強い勧めも断りロシアへ帰国する
こともなく、25歳からの50年間をひたすら信仰に生き、
日本に骨を埋めた。
その遺骸は谷中墓地に葬られたが、1970年の墓地改修の際に
棺を開けたところ、その遺骸は不朽体となっていた為、ロシア
正教会により列聖された。
著者が発見したニコライの日記からの引用が多用され、実は辛辣な
観察者の目を持っていたことが分かる。
ニコライ堂、しばらく行ってないなぁ。今度行く時はニコライの
生涯に思いを馳せながら佇んでみよう。