作品一覧 2023/02/09更新 風景とローカル・ガバナンス 春の小川はなぜ失われたのか 試し読み フォロー 村の社会学 ──日本の伝統的な人づきあいに学ぶ 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 鳥越皓之の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 村の社会学 ──日本の伝統的な人づきあいに学ぶ 鳥越皓之 以前働いてた新潟では、「本家」「分家」という言葉を時々患者さんから聞いた。米農業が盛んな地域だったので、現在に至るまで名残が残ってるのかもしれない。 僕は長野出身だが、「本家」「分家」という言葉を実際に聞いたのは初めてだったので、新鮮だった。うちが両親とも医師の家系だったからそうした言葉に馴染...続きを読むみがなかっただけなのか、それとも南魚沼市が比較的稀な事例なのか。 Posted by ブクログ 風景とローカル・ガバナンス 春の小川はなぜ失われたのか 中村良夫 / 鳥越皓之 / 早稲田大学公共政策研究所 / 羽貝正美 / 佐々木葉 / 西研 / 山田圭二郎 / 藤倉英世 / 縣公一郎 / 塚本壽雄 「風景」とは何か。そう聞かれると存外難しい。景観保護と言えば、ピンクビラ禁止、建築制限といった「規制」が中心になる。一方、風景には規制は馴染まない。目障りなものを取り除くという発想では、良い景観は得られても、風景は別問題であろう。同じ景観でも、風景は異なる。「景観」と異なり、「人の思いが投影される」...続きを読むというのが一つの答えであるように思われる。 そう考えると、「風景を良くできるか」という問題に突き当たる。個人が投影する思いに介入できるのか。ただの押し付けではないか。都市化によって、価値観、生活リズム、職業、近くに住んでいる人でもバラバラである。風景が違って見えるのは最早不可避であろう。その中で官が景観保護を打ち出しても、それは個々の風景とは無関係な、統計的な、無味乾燥な、平均値になりかねない。 そこに、ローカルガバナンスという、「官による統治」ではなく「住民による協治」の考え方が生まれる。そして、この住民主体の考え方は、単に決定の主体として関わるだけではない。従来官に任せがちであった、風景に積極的関与(川の掃除、公園のルール作成)し、自ら利用者になることでもある。その中で価値観が擦り合わせるのではないか。本書の期待はそこにある。 風景には人々の思いが宿る。そこから、ローカルガバナンスとしての街づくりができるかもしれない。そんな期待を抱いた。 Posted by ブクログ 風景とローカル・ガバナンス 春の小川はなぜ失われたのか 中村良夫 / 鳥越皓之 / 早稲田大学公共政策研究所 / 羽貝正美 / 佐々木葉 / 西研 / 山田圭二郎 / 藤倉英世 / 縣公一郎 / 塚本壽雄 景観工学と風景の関係?風景は、そこに住む人がつくる、すなわちローカル・ガバナンスが風景を産み出す。具体な手立ては都市計画?工学や法律でなく、そこに住む人の生業や暮らしぶりによるのではないだろうか。どうやって風景を活用するのか残していくのか、手立ては各々の地域で異なるようだ。 Posted by ブクログ 鳥越皓之のレビューをもっと見る