何故ひとは九龍城にこうも惹かれるのか。
世には廃墟マニアという人種が存在する。私にもまたその傾向がある。
恩田陸は著作の中でこう語る、廃墟とは人がいたところ、過去の残骸、かつてたしかにあった営みの記憶の焼きついた場所であると。
歳月が経ちその営みの記憶が風化してもなお形骸化した器は―「建物」は残る。
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九龍とはかつて混沌の代名詞であった。世界最大のスラムであり、犯罪の温床と忌避される危険地帯であった。しかし私たちはどれだけ正確に九龍の本当の姿を知っているのか、一人歩きする風聞に惑わされ果たして往時の九龍の姿を把握してると言えるのか。
本書は九龍内部を撮った多数の写真とともにそこに住む人々へのインタビューで構成されている。
一口に九龍城といえど中は広く多数の区域や通りに分かれている。
本書ではその様々な区域に居住する様々な職種のもの、飴職人、歯医者、宣教師など幅広く取り上げて、それぞれの波乱万丈の半生を九龍城の歴史に絡め振り返る形での取材を試みている。
九龍城は要塞である。そして有機的に胎動する一つの都市である。
犯罪が多発する危険地帯として外の住人に恐れられた九龍城も、中に住まう者からすればそれが日常であり、けっして危険で不潔なばかりの魔窟ではないのだ。九龍城で生まれ九龍城で育ったものにとってこそは九龍城こそがかけがえのない故郷であり、彼らは自分が生まれ育った土地に愛着を抱いている。
九龍城は闇を抱えている。上下水道の整備も整っておらず、家庭で出たゴミは中庭に張った網の上に投げ捨てられ何層も積み上げられる仕組みだ。しかし、託児所がある。保育園がある。教会がある。老人ホームがある。人が人らしく生活する為に必要な最低限の施設はちゃんと備えているのだ。汚水滴る壁や床で絡み合いのたくる配線、迷宮の如く複雑怪奇に入り組んだ路地、猥雑に立て込んだ建物と狭隘な通路。異形の建物である。九龍城とはいくつもの高層建築の複合体である。
すなわち、九龍城は生きているのだ。