生活に実用性を持つ哲学でなければ、その論争に何らの意味も持たない。
合理論者と経験論者の論議、一神教と多神教、それらはそれらでそれぞれ真に違いなく、また偽でもある。それら一方を取ることになんの意味があるのか?なるほど、そういった論争に勝利することで得られる優越感などの意味においてであるなら、まさにそ
...続きを読むういった論争もプラグマティックでありうるだろう。
宗教を信じないものは、信じないという心情において無神論は真であり、有用である。しかし、それを絶対視できるのは、自分の内心のみにおいてであり、信者にとってみれば、いかなる宗教も偽ではありえなく、それが信者の糧となる限り、その意味において、宗教は限りなく有用で、それらが正当性を言い争うことはまったくもって無意味というほかない。現実とは、様様な真の集合体であり、それら一つ一つの真から、たの真を見たとき、偽に見えるというだけの話である。
人間は、無駄な知識を欲するのであれば、トリビアは、知識欲を満たす意味において、決して無駄ではないのだ。
とてもとてもポジティブな考え方。
プラグマティズムがどんな仕組みかを知りたいのであれば、前半だけで事足りると思う。