作品一覧
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3.81巻473円 (税込)有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性……主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。
ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
人の中心は情緒である という書き出しで始まる
日本文化の特性がこの情緒を土台に組み立てられていることや、それがいかに美しい心情を生み出してきたかを様々な側面から論じている。
そして昨今の教育制度がいかにこの情緒的中心が失われ、それによって子供たちの創造性が阻害されてきたか警鐘を鳴らす
特に前半はあるべき日本人観のようなものが書かれていて名著。日本有数の数学者が書いている点も大変興味深い
情緒とは自然が人間に差し出してくれるもの を指していると解説にあった
人の人たる道をどんどん踏み込んでいけば宗教に到達せざるを得ない。
人の悲しみがわかること、そして自分もまた悲しいと感じることが宗教の本 -
Posted by ブクログ
日本を代表する数字者と批評家の対談。150ページほどで読みやすいように思うのだが、あれって改めてどういう意味なんだろう?と再読したくなる一冊。
扱うテーマごとに広さと深さが感じられる。ドストエフスキーとトルストイのやりとりはその象徴。
①数学を扱う岡潔が人間理解についてとても執着している点、②批評家の小林秀雄がアインシュタインを批判的に考察している点、③お互いを尊重し違いを認めつつ情緒という点で2人が合意する点などは興味深い。
あと、釈迦の無明のくだりはじわりと良さが染み込んでくる。岡潔いわく、「人は自己中心に知情意し、感覚し、行為する。その自己中心的な広い意味の行為をしようとする本能を無 -
Posted by ブクログ
ただのメモ
無明≒小我≒西洋的な自我
人は自己中心に知情意し, 感覚し, 行為するものであるが, 自己中心的な行為しようとする本能のことを無明という.
岡潔は無明をおさえれば, やっていることが面白くなってくるというが, これは無明を超えた真の自分の心, ユングでいう自己から俯瞰してみるということなのだろうか.
一番面白かったのは, 数学が抽象的になってしまったという話だった.
感情的に矛盾するとしか思えない二つの命題を共に仮定してもそれが矛盾しないという証明が出てしまったことにより, 知情意の知のみの領域へ入り込んでしまった. 矛盾するというのは情であり感情の満足であるが, これが納得