プロフィール
- 作者名:山岡荘八(ヤマオカソウハチ)
- 性別:男性
- 生年月日:1907年01月11日
- 出身地:日本 / 新潟県
- 職業:作家
無線電信講習所本科電機学校卒。作品に『約束』、『からゆき軍歌』、『海底戦記』などがある。『徳川家康』は中日文化賞受賞し、映画化・TVドラマ化もされている、『海底戦記』その他で野間文芸奨励賞受賞。従四位勲二等瑞宝章叙勲。
作品一覧
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 松平竹千代(のちの徳川家康)が生まれた年、武田信玄は22歳、織田信長は9歳だった。 群雄割拠の戦国時代に、天下統一を目指す武将たち。弱小の松平家にとっての 希望の星・竹千代の身の上は・・・。 剛毅と智謀を駆使して天下を平定、徳川300年の礎を築いた、家康の生涯を描く世紀を超える一大巨編の開幕! ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
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-父秀忠の命で甲府に蟄居している弟駿河大納言忠長の処遇に苦慮する三代将軍家光。その忠長は自刃して果てる。寛永十一年(一六三四)六月、家光は三十万を越す供を従え京に入った。この上洛は、禁裏と幕府間のしこりをとき、泰平の空気をかもし出す大きな役割を果たした。家光政権は土井利勝、松平信綱、阿部忠秋らの補佐のもと盤石にみえたが、突如、苛政に耐えかねた島原の農民が蜂起。天草四郎を盟主とするキリシタン信徒もこれに呼応し、原城に立て籠った。鎮圧に向かった板倉重昌は戦死し苦戦する幕軍に、家光は最も信頼する松平信綱を総大将に派遣した。絢爛たる寛永時代を演出した生まれながらの将軍の一生。
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-幕末、日本近海には外国船が頻繁に出没し、徳川幕府の動揺をさそっていた。一方、貧窮のつづく禁裏では、今上の帝(孝明帝)が暗澹たる世情を憂いておられる。そうした折り、生を享けたのが明治天皇であった。浦賀に現れた黒船は、徳川二百六十年の泰平の夢を破った。激しく開国を迫る列強に、佐幕開国か尊皇攘夷か、世論はまっぷたつに割れた。大老井伊直弼の果断にして仮借ない政策は、世にいう“安政の大獄”の嵐となって全国に吹きあれた。将軍継嗣問題も強引に紀州慶福と定め、水戸派勢力の一掃がなされた。その反動は大きく、京洛は天誅につぐ天誅の巷と化した。騒擾のなか、まだ自分の運命は知らぬまま、祐宮は、健やかに成長していた。桜田門外の変で井伊直弼が倒れると、幕府には和宮降嫁にすがる公武合体の融和策しか手段がなくなった。騒然たる世相のさなか、将軍家茂が倒れ、つづいて孝明帝も崩御。若き睦仁親王(明治天皇)の双肩に国家存亡の危機がのしかかる。
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-奥羽米沢城に、伊達政宗が呱々の声をあげた永禄十年(一五六七)。一代の英雄織田信長によって、戦国も終熄に向かい始めていた。しかし、奥羽はこの時期こぞ、まさに戦国動乱のさなかだった。政宗を万海上人の生まれかわりとする期待が大きいほど、反動もまた大きい。生家と伊達家の滅亡をおそれ、政宗殺害を企てる実の母と実の弟。肉親ゆえに激しく渦巻く愛憎。ついに政宗は、涙をのんで弟を斬る。血がたぎるほどの叛骨魂を秘めながら、豊臣秀吉という悍馬を操って、さまざまな危機を脱していく政宗、だが関白秀次と結んで企てたという謀反の嫌疑がかかる。関ヶ原、大阪冬の陣、夏の陣、そして徳川の世。天下制覇の野心を秘めて激動の時代を生きた英傑独眼竜政宗の生涯をえがく長編。
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5.01~6巻1,100円 (税込)和平のため奔走する首相・東条英機だが、ルーズベルト大統領は対日戦争の肚を固めていた。開戦か和平か混乱する中、山本五十六は連合艦隊司令長官就任の祝賀会の席で「天命を待つのみでは祖国の安泰は期しがたい」といってのけた。報道班員として従軍した著者による、太平洋戦争全史を描いた唯一の大河小説。【内容は山岡荘八歴史文庫版「小説太平洋戦争」と同一です】
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4.41~9巻792~815円 (税込)昭和16年、日米両国は最悪の関係に陥っていた。前年の日独伊三国同盟に徹底対抗を宣するアメリカ。大統領ルーズベルトは、すでに対日戦争の肚を固めていたのだ。日本は打開策を模索し、再三交渉の特使を派遣するが……。太平洋戦争全史を描いた唯一の大河小説、今よみがえる! 全9巻。
ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
前巻までは信長の透徹した戦略眼に人間観察力、電光石火の処断など信長の人間離れした無双ぶりが前面に打ち出されていたが、この巻からは家臣を活かす信長が見られる。滝川一益の謀略による蟹江城と桑名城乗っ取り、藤吉郎の有名な墨俣の一夜城がそれにより実現する。周辺国の要所を抑え、美濃を虎視眈々と狙う信長の下に竹中重治による稲葉山城乗っ取りの報が届く。驚喜した信長は美濃領の半分を譲渡することを条件に城の明け渡しを求めるが、重治からは拒否される。だが信長は使者の藤吉郎を責めることなく、逆に美濃をいつでも獲れることを確信するのである。
永禄4年(1561年)の斎藤義龍急死の真相から、元亀元年(1570年)の金 -
Posted by ブクログ
この作品に登場する歴史上の人物には、山岡荘八流の解釈による性格が付されているが、特に輝きを放っているのが信長の正室・濃姫である。彼女については斎藤道三の娘ということ以外は何も分かっていない。しかしあの美濃のマムシの娘ならば、こうであったろうという個性が違和感なく発揮されている。勝気で男勝り、打てば響く機知に富んだ賢夫人。留守を任せて怠りなく、家臣や領民、側室やその子供達への気配りも忘れない。時に信長をやり込める時もある。この濃姫の存在が作品価値を高め、なる軍記物を越えたものにしている。真の主人公は濃姫なのかも知れない。
本巻は実弟信行が家臣に煽られて、信長に反逆の兵を挙げる弘治2年(1556 -