プロフィール
- 作者名:温又柔(オンユウジュウ)
作品一覧
-
4.0
-
3.3十七歳の私たちは、「はるか遠くにある未来」を夢みていた―― 私=林由起子には、林美怜と林圭一という同じ「林」の苗字を持つ友人がいた。やがて圭一は美怜と付き合うようになり、三人の関係に変化が訪れる……。国籍や性別を超えた三人の友情、その積み重ねた時間を描いた表題作をはじめ、「日本語文学」を拡張する傑作作品集。 完全に普通のひとなんか、この世に一人もいないよ。誰もが皆、それぞれ、ちょっとずつ、普通じゃないんだ。(「永遠年軽」) おじいちゃんはね、二十歳までは、日本人だったんだよ。(「誇り」) 父が、おりこうさん、と言ってくれるから、ガイジン、とか、タイワン、とはやしたてられても耐えられた。(「おりこうさん」)
-
-3歳の時に東京に移住した台湾人作家が、台湾語・中国語・日本語の3つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身のルーツを探った感動の軌跡。日本エッセイスト・クラブ賞受賞作に、刊行後の出来事について綴った3篇を加えた、待望の増補版。 「子どもの頃も含めると、あなたの母語は何ですか? と数えきれないほど訊かれてきた。同じ質問をされるのが苦痛な時期もあったが、いまのわたしは、待ってました、とばかりにほほ笑む。 ――タイワン語とチューゴク語の織り交ざったこのニホン語のことですよ。 この答えにたどり着けたのは、約四年の月日をかけて“失われた母国語”を求めつつ、自分にとって言葉とは何かと徹底的に考えぬいた成果なのだと思っている。」――(「Uブックス版に寄せて」より)
-
3.4【第157回芥川龍之介賞候補作】“四歳の私は、世界には二つのことばがあると思っていた。ひとつは、おうちの中だけで喋ることば。もうひとつが、おうちの外でも通じることば。”台湾人の母と日本人の父の間に生まれ、幼いころから日本で育った琴子は、高校卒業後、中国語(普通語)を勉強するため留学を決意する。そして上海の語学学校で、同じく台湾×日本のハーフである嘉玲、両親ともに中国人で日本で生まれ育った舜哉と出会う。「母語」とはなにか、「国境」とはなにか、三人はそれぞれ悩みながら友情を深めていくが――。日本、台湾、中国、複数の国の間で、自らのことばを模索する若者たちの姿を鮮やかに描き出す青春小説。
掲載誌
ユーザーレビュー
-
Posted by ブクログ
だれといても、どこにいても、自分の一番近くにいるのは自分自身。
京都の人のものの言い方をよく聞く揶揄したり酷いねという話があるが、日本中の人は皆似たようなことをしたり言ったりして、部外者自分と出自や所属が違うものをソフトに本当にソフトに悪気のないふりをして、いいつらうのだ。悪気はないふりをしているだけで悪気は大いにある。
助詞の使い方などちょっとしたことでかなりきちんと表現される嫌味悪気意地悪。この日本的なるもの。自分もやってるかなと自省する。
親子、母娘の、と本の説明にあるが、
確かに母親と娘の関係を中心に父又は夫との関係も強く書かれていて、内容には、瀧波ユカリ氏の連載中の漫画わたしたちは無 -
Posted by ブクログ
「日本人でありながら日本の悪口さえ言っておけば自分の価値が信じられるような人が喜ぶ作品は、一切書かない」という言葉に突き刺された。その言葉が指し示す対象に少なからず自分は含まれているように思ったから。
日本社会に強力にはたらく単一化の力学に対して存在の複雑さと多様さを取り戻す戦い。そもそも国家、国籍、国境という概念が歪で、その概念に適さない人間が歪なわけではないということ。
自分の過去の不適切な発言が思い起こされ、また、自分が今も気づかずしてしまっている差別的言動が必ずあるだろうということに消え入りたくなる。
しかし惑う存在として存在することを肯定してくれるこのエッセイはとても温かい。 -
Posted by ブクログ
日本人の父と台湾人の母を持つ主人公が、母の言葉である「中国語」を学びに上海に留学。
日本人に見えるけれど中国語を話せる、とか、母が台湾人ならもっと上手く中国語が話せるのではないかとか、帰化した中国人の両親を持つ子どもの母語は日本語が、とか…ナニジンでナニゴが喋れるかという絶妙なややこしさを軽やかに描き出して見せているなと思った。
日本人の母と台湾人の父を持ち、日本語を話すように育てられたリーリーや、正確な?中国語を「普通語」として教えようとしている上海の漢語学校教師、関西弁と中国語を話すシュンヤ。
シュンヤが「言語と個人の関係は、もっと自由なはず」と言う、これがテーマかな。