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初めてこの著書を知りました。
「長屋王残照記」や「ざんねんな歴史人物 それでも名を残す人々」への投稿レビューで四条天皇の「あまりにも突然すぎてあまりにも幼すぎる崩御」について述べましたが、この際に約2週間に亘って「天皇空位」の状態が続いたのは奈良時代に聖武天皇の皇女の称徳天皇が崩御してから天智天皇の皇孫で志貴皇子の子の光仁天皇が即位するまでに約1ヶ月間に亘って天皇空位の状態が続いて以来の出来事でした。この光仁天皇の即位を転機に天武天皇の血筋が次第に皇位継承から排除されていきますが、この光仁天皇の皇后でしかも聖武天皇の皇女の「井上内親王」と彼女の息子の「他戸親王」がその典型的な例ですね。その結果、光仁天皇の子で天武天皇の血を引いていない桓武天皇が即位して今日の天皇家や「源氏」や「平氏」や「在原氏」の祖先になりましたね。その一方で、天武天皇の血筋は皇位継承から排除されてしまったものの、「清原氏」や「在原氏」や長屋王の子孫の「高階氏」の祖先になって平安時代に栄華を極めてあの「清少納言」を生みましたね。面白い話ですが、後鳥羽天皇の子でありながらあの「承久の乱」に関与していませんでした土御門天皇の母も長屋王の子孫であります「高階氏」の血を引いています。四条天皇が突然崩御した途端に土御門天皇の子が後嵯峨天皇として即位しまして今日の天皇家の祖先になりましたから余計に「四条天皇の崩御は後鳥羽天皇の祟りだ」と言う噂が拡大してしまったのでしょう。また、後嵯峨天皇の即位によりまして天武天皇の血筋が皇位継承権を奪還しましたし、あくまでも僕の推理や憶測にしかすぎませんが、その当時は「後鳥羽天皇や仲恭天皇や彼らの処罰に反対していました「慈円」と言う僧に加勢して長屋王までが四条天皇を祟り殺してしまった」と言う内容のとんでもない噂までもが飛び出したでしょう。