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「そもそものはじまりは間違い電話だった」。深夜の電話をきっかけに主人公は私立探偵になり、ニューヨークの街の迷路へ入りこんでゆく。探偵小説を思わせる構成と透明感あふれる音楽的な文章、そして意表をつく鮮やかな物語展開――。この作品で一躍脚光を浴びた現代アメリカ文学の旗手の記念すべき小説第一作。オースター翻訳の第一人者・柴田元幸氏による新訳!
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Posted by ブクログ
①文体★★★★★ ②読後余韻★★★★★ ニューヨークの都市が舞台となっている小説です。読んでみると一見探偵ものに見えます。ストーリーは尋ね人の姿を追い街を歩く主人公の視線と彼の自問自答、思考の振れ、感情の起伏が重なりあいながら、推理小説っぽさを醸し出します。 ストーリーのなかで登場人物の存在や...続きを読む名前の境界がぼやけていき、物事は何も解決していきません。主人公はニューヨークという都市に取り残されてゆきます。都市に迷い、その存在に溶けて消えてしまう主人公。都市に生きることの漠然とした不安感や匿名性がこの小説には表現されているような気がします。 私も訪れたことがあるのですが、たしかにニューヨークのマンハッタンって、街区が碁盤上になっていて一見わかりやすそうなイメージなんですが、歩いてみると意外に混乱しやすい場所であったりするんです。でも、そんな混乱のストーリーと都市の雑踏のなか、この作家のすたすたと歩いていくような透明感あるリズミカルな文体がとてもマッチしていて、なぜか心地よく読み進めてしまいます。それが虚像に溢れ、現実感のないニューヨークという都市に生じる歪みとストーリーにひそむ孤独、喪失感を研ぎ澄ましています。
入れ子構造をどう考えるか? 探偵小説家が探偵をする。 ドン・キホーテ論から書くということの実在性の持たせ方を立論する。 ポール・オースターが作中にも登場して、構造を撹乱する。 虚構の実在。実在の虚構。 末路は、哀れなようでわからない。非実在なのだ。ノートを除いて。 現代芸術の意味で、これは現代文...続きを読む学だ。問題を提起されているように思う。
2021/06/26 およそ10年ぶりに再読。やっぱ最高やなオースター。 なんなんだろう、この本は。ひどく無意味に見えて、同時に深淵でもあるような事件。物語に関係のないように見えて、実は密接に関連している可能性を孕む種々の二面性。あれとこれが似ていること、まったく別のもの同士が共通する面を持っている...続きを読むこと。そういうものの連続でこの本はできている。 突き放した言い方をすれば、思わせぶりの連続。結論の見えない可能性たちの連なり。そこに物語としての解決などありえない。主人公はただ思索を続け、ニューヨークを歩き続け、だんだん壊れていく。自分のやっていることがまったくの馬鹿げたことと思いながら、それゆえに重大であるかもしれないと認識させられる矛盾に満ちている。矛盾がほんとうに矛盾であるかどうかの検討が必要なため、思索はどんどん込み入ってきて、また新たな矛盾にぶち当たり、……。
ニューヨーク三部作の一作目。 深夜の間違い電話をきっかけに、探偵になりすましてニューヨークの街並みを彷徨する主人公。何が真実なのか?最後まで何も解決しないミステリー。現実と虚構が入り乱れ、主人公は破滅の道へと突き進む。クセになりそうな独特の世界観。
今「ガラスの街」はニューヨーク三部作の第一作ということで記録されている。 「孤独の発明」「鍵のかかった部屋」「ムーン・パレス」「偶然の音楽」「幻影の書」と読んできて初期の作品を二冊残していたのは、中篇であり初期に書かれたもので、先に読んだ作品で感じた、私の中の名作「孤独の発明」が次の作品がどういう形...続きを読むで書かれたかにも興味があった。 ただ既読の5冊の中には、共通する実態の掴みにくい孤独感はが相変わらず座り込んで在り、それを包むように明晰で分かりやすい言葉が連なっている。 次第にストーリー性が増し、明確な風景の中から物語が立ち上がってきている。そういう傾向に移行したのかと感じたのだが。 ニューヨーク三部作の頃にはまだ主人公の回りは常に現実との境が曖昧で、存在自体も、本人にさえも見えない部分がある。 主人公たちは、その見えない部分を自分中や知り合った人たちに見たり触れたりしてして、鑑に写したように実感を得ようとしている。だがそれも次第に薄れていく。 ストーリーは、夜中の間違い電話が何度も懸かるので、「ポール・オースター?」ときかれ「そうだ」と答えてしまう。 実はダニエル・クインという探偵作家で、ペンネームはウィリアム・ウィルソンでありその陰に隠れていれば、エージェントとは私書箱を通しての付き合いで、顔を出すことがなかった。彼は半月書き、余った時間を自由に暮らしてきた。 間違い電話の主ピーター・スティルマンは子供のころ幽閉されていた過去がある障害者だった、世界に散見する研究対象で、誘拐されて見つかった子供のように、9年間、言葉や光のない部屋で育ち、父親に実験的暴行を受けて、13年間父が捕まっていたとき、今結婚している妻が教育してきた。父親が釈放される日が近いので殺されないように保護して欲しいと言う。 彼は満足に話せない。 ---これはいわゆる話すという行為です。そういう呼び方だと思います。言葉が出て宙に飛んでいって、束の間生きて、死ぬ。不思議じゃありませんか--- 彼は電話を受けた手前、彼は作中の探偵ワークとはもう架空の者ではなく、いつの間にか一体感を持っていたし、現在の状況は三人の人格が合体したものに感じられた。 --- 探偵とは、全てを見て、全てを聞き、物事や出来事がつくりだす混沌の中を動き回って、これらいっさいをひとつにまとめ意味を与える原理を探し出す存在にほかならない。実際、作家と探偵は入れ替え可能である。--- 出所した父親らしい人物を見張り始める。安ホテルに泊まった老人はニューヨークを徘徊する。彼も後ろから歩いていく。何も怪しいそぶりもなく日が過ぎ。ついに彼は接触を試みる。老人は新しい言葉を作り出そうとしていた。彼は老人の意識を確かめるために話しかけるがもう既に過去のハーバードの秀才教授ではなかった。だが彼の知識の片片から生まれる物語は魅力的で、その奇妙な世界を聞きに何度も出会うようになる。 ---ポー作品でデュパンはなんと言っているか?「推論者の知性を、相手のそれに同一化させる」ここではそれは、スティルマン父に当てはまる。」おそらくその方がもっとおぞましい。--- 父親はかってヘンリー・ダークという名前で、今ここではないかつての楽園を作るために、乱れた言葉を元に戻すことを解く「新バベル論」について書いていた。その小冊子を見つけた。 赤いノートに記録しながらクインの尾行は続いた。 赤い手帳にはその日の出来事を書きながら見張っていたが老人は消えた。ホテルで聞くと投身自殺をしたそうだ。 くクインは依頼者のスティルマン夫婦のところに行くとマンションは誰もいない空室になっていた。 クインはついに、ポール・オースターを訪ねる。彼は全く何も知らなかった。 そして今書いているのは何かといといに答える。 「ドン・キホーテ」論だという。これはセルバンテスの作ではなくアラビアで書かれ、セルバンテスは翻訳されたものを編集したもので、そういうことは事実を語るのに疑いを挟ませない理由だと言った。そしてドンキ・ホーテは物語に魅せられた。しかし原作のアラビア人は登場する四人の組み合わさったものではないか」 クインの部屋は他人が入っていた。彼は依頼者のスティルマンがいた狭い窓にない部屋で眠る。次第に彼が何もかも億劫になり消えた。 オースターのところに来た友人にこの話をすると、友人はクインを心配して探してみたが彼のいた部屋は赤いノートだけが残っていた。 一人でいることは自由だと言うことだが、それが続くとクインはソローの本を探して読んでみたりする。この自由とは違う。 それでも過去にはウィリアム・ウィルソンであり、創作した探偵ワ-クであり、ミステリ作家のダニエル・クインであった。その頃は快い孤独感とともにニューヨークの町を歩いて楽しむことが出来た。 だが、ふと電話に出て見知らないポール・オースターになり、書く事をやめウィリアム・ウィルソンから離れてしまった、そのとき自分と一体であったものを切り離したあとの独り、このクインとは一体何者だろうか。 仕事だと思った老人の追跡が意味のないものになり、町は次第に陰をなくし、それに連れて存在も希薄になる。孤独というものの実感さえ浮かばなくなり生存するということが抜け堕ちてしまう。それがどんな意味があるのかとさえ考えることのないところに入ってしまう。究極の言葉によって形作られるみえない深い悲しみや空虚感が見事に作品になった、珍しい文学的な前衛だという言葉が分かる、初期ポール・オースターの作品だった。 この形式とセルバンテスの部分は少し共通の部分もあるように思うがここまでにする。
ニューヨークに暮らすダニエル・クインは、かつて探偵小説で名を馳せた作家だった。しかし今では、世間を驚かせるような作品を書く気力もなく、匿名でミステリーを書いて生計を立てている。そんなクインの元にある日、助けを求める電話がかかってくる。「探偵のポール・オースター氏に事件を解決してほしい」という依頼だ。...続きを読むしかし、ポール・オースターなる人物には全く心当たりがない。間違い電話だと思って切ってしまうが、その後も何度も同じ電話がかかってくる。仕方なくクインはポール・オースターという探偵のふりをして、電話の主に会うことにする。 待ち合わせ場所でクインを迎えたのは、ヴァージニアという女性だった。彼女は依頼人のピーター・スティルマンの妻であると言う。スティルマンは幼い頃から外界から隔離され、暗い部屋で過ごした過去を持つ人物だった。そんな彼を救い出したのは彼の父親であるスティルマン氏だが、現在は精神病院に入院しているという。スティルマンは闇の中で育ったせいで他者とのコミュニケーションが困難で話も支離滅裂なありさまだった。そこでクインは妻のヴァージニアから依頼内容を聞くことにする。ヴァージニアの依頼は、間もなく退院する父親から夫を守ってほしいというものだった。 …‥‥・・‥‥………‥‥・・‥‥…… 「そもそものはじまりは間違い電話だった」という書き出しから始まる本書は、いかにもミステリー仕立てという感じで、レイモンド・チャンドラーのようなハードボイルドな探偵小説の雰囲気を漂わせています。しかしそれも最初のうちだけで、探偵小説やミステリーの趣からは徐々に離れ始めます。というのも、ミステリー作家であるクインが、自分のペンネームの「ウィリアム・ウィルソン」と、小説に登場する探偵「マックス・ワーク」について思弁し、やたらと2人の人物を引き合いに出すことが増えてきて、雲行きがだんだん怪しくなってくるからです。クインにとってのウィリアム・ウィルソンはあくまで小説を出す時に名を借りる抽象的な人物であり、これに対しあくまで小説の登場人物に過ぎない探偵のワークが、なぜか実体を持っているかのように生き生きと存在感を増してくるわけです。ウィルソンがまるで人形遣いで、クイン自身は人形、そしてワークは次第にこの物語に目的をかのような生気に満ちた役回りを与えられるのです。 物語が進むにつれ、クインとウィルソンそしてワークという3人の人物によって、次第に錯綜し始める物語。このことから私は、自分自身や他者との継続的に変化し続ける対話のプロセスによって個人のアイデンティティは定義されるという、ミシェル・フーコー的なものを感じました。加えて、スティルマンに迫る父親が宗教学の権威の元大学教授というのも本書のディテールにまた彩りを加えます。スティルマン教授は自身の著書『楽園と塔』の中で、第二のエデンの園を来るべき新世界のビジョンとして描き、バベルの塔の崩壊の原因となった人々の言語の混乱を堕落したアダムと重ね合わせて論じます。そして、真の言語の復活により世界は新たな楽園として再臨すると綴り、息子への仕打ちは、エデンの園で人間が堕落する前の神の言語を発見するための実験であったという事が示唆され始めるのですが。 旧約聖書の引用からのビジョンを多分に含む本書は、象徴に富んでおり、ディック作品にみられるアイデンティティーの揺さぶりとも相まって、今までに味わったことのない不思議な雰囲気をもつ一冊と言えます。故にミステリや探偵小説を期待するとかなり面食らうことになり、決して読みやすい内容とは言えません。しかし、読んでいくうちにどんどん錯綜していくテーマだとか、主人公のアイデンティティが喪失していく(ネタバレになっちゃうのでこれ以上は書けない)展開を期待する人にとってはまたとない一冊になると思います。
2つの世界線に生きるオースターさんの邂逅で笑った。ドン・キホーテ自演説を解説し始めた時はなんでわざわざここでそんなことにページ割くんだと思ったけど、最後まで読むとその意味がなんとなくわかった気になれた。個人的なハイライトは序盤のピーター・スティルマンの独白です。
あるひとが、そのひと自身であること。 それは本人がしっかり把握している限り問題にならないのかもしれない。 が、本人の把握がゆらげば、あっという間に何者かはわからなくなってしまう。 いや、何当たり前のこと言ってるんだ、と言われそうだが。 この小説を読むと、このことを考えさせられるのだ。 主人公のダニ...続きを読むエル・クインの視点から語られるこの物語。 詩人としての活動をやめ、今は探偵小説を書いて、そこそこの評価を得ている。 ある日、彼のところに、仕事を依頼する間違い電話がかかってくる。 相手の女性は彼を私立探偵「ポール・オースター」と思っており、義父スティルマンを尾行してほしいと依頼する。 最初は人違いとして断ったクインも、ふとした思い付きで、オースターとして探偵を引き受けてしまう。 複雑な話で、あらすじなどまとめようもない。 スティルマンはヘンリー・ダークなる聖職者の書いた新バベル論に影響され、やがて神の声が聞こえるように、幼い息子、ピーターに言葉を教えないよう監禁する。 闇の中で13年を過ごしたピーターは、火事により救出され、治療を受け、彼の言語訓練士だった女性ヴァージニアを妻として暮らしている。 ピーターが「僕の名前はピーター・スティルマンです。でもそれは本当の僕の名前ではありません」と繰り返すことばが意味深長だ。 神の言葉のために、ことばを奪われて育ったピーターは、自分と世界を安定いて関わらせることができない。 けれども、これはピーターだけの問題でもない。 クインも、オースターとして動くうち、「オースターの体に入っている」ような気持になってくる。 また、自作の主人公である探偵、マックス・ワークとの境も(意図的にかもしれないが)曖昧になっていく。 ことばあるいは名前と実体との関係が錯綜していく。 その舞台が、ニューヨークというのも面白い。 かつてヘブライ人ができなかったバベルの塔を、新大陸に移民したアメリカ人が築くという妄想と、ニューヨークの摩天楼が重なって感じられる。 直線的な「アヴェニュー」が走る、人工的な街区を持つ街が、古代の神話(聖書だが)的な世界に結び付く意外さ。 とどめは、ポール・オースターなる存在。 本書のカバーに「著者名」として書かれている名前でもある。 物語終盤になり、オースターに呼び出された「私」なる作家が、クインの手記を入手し、再構成したのが本書だ、と明かされる。 画面がすっと後ろに下がって、カメラを回している人物までが登場人物だった、と明かされたような不思議な感覚だった。 十二分に本書を読み解けたかどうか怪しいが、頭がくらっとするような、不思議な感覚が味わえた。
思っていたよりずっと面白かった。 もちろん例外はあるにせよ、私は「いろいろなことが起こりすぎる小説」があまり好きではないが、この小説は色々なことが起こりすぎるにも関わらず好きだと思った。 多分徐々に狂気の方向に傾いていく描写が良かったのと、自分という存在がリアルでなくなっていくことへの内省の描写がよ...続きを読むかったからだとおもう。 クンデラの存在の耐えられない軽さっぽい雰囲気を感じる箇所もあった。 あと柴田元幸、大変訳がうまい気がする。 ピーター・スティルマンのおかしな独白など、大変面白く読んだ。
探偵宛にかかってきた間違い電話をある作家が受け、面白半分に探偵のふりをして依頼人の相手をしたところ、思いもよらない運命にまきこまれる。 依頼人の希望通りにターゲットの尾行をするあたりは普通の探偵小説っぽいが、それ以外は普通とは異なる。 軟禁状態で言語コミュニケーション抜きで育てられたためコミュニケー...続きを読むションが不思議な男、妻であり元看護師の女(依頼人)、実験のために男を軟禁して育てた男の父(ターゲット)と登場人物が独特。 文章は詩的で深みがある。 そして、ターゲットを見失った後に作家に訪れる運命は強烈。 いつものオースターらしい落差のある展開に引き込まれた。
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