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映画の試写を観終えて、銀座の〔資生堂パーラー〕に立ち寄り、はじめて洋食を口にした40年前を憶い出す。外神田界隈を歩いていて、ふと入った〔花ぶさ〕では、店の人の、長年変らぬ人情に感じ入る。時代小説の取材で三条木屋町を散策中、かねてきいていた〔松鮨〕に出くわす。洋食、鮨、蕎麦、どぜう鍋、馬刺から菓子にいたるまで、折々に見つけた店の味を書き留めた食味エッセイ。
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Posted by ブクログ
水のように淡々と行きつけのお店や様変わりする街の様相を哀愁たっぷりオシャレな文章で書かれている。 …ほんとうの【たのしみごころ】を味わう術をうしなってしまった。あるものは、どこまで行っても尽きることのない【不満ごころ】のみのにほんになってしまった。 確かに、グローバル化が進み競争社会が加速してい...続きを読むく中で、今あるものに満足するメンタルは積極的に失われている気がする。食がテーマであるも斜陽日本への静かな憂鬱を感じた。 これは素晴らしい
すごく面白く読んだが、この本のどこが面白いのかを説明するのはとても難しい。 一言で言えば、筆者が好きな、あるいは好きだった料理屋について語るだけの本。時代は筆者の若い頃、戦前から、おそらく昭和50年代まで。場所は、都内各所・京都・大阪・横浜・名古屋・近江・パリ、などバラエティに富んではいるが、それで...続きを読むも書いていることは、料理屋のことである。 近江、八日市の「招福楼」という料亭についての文章を引用する。 【引用】 招福楼へ、はじめて入って昼食をしたためたのは、十三、四年前のことになるだろう。 そのときのうまさ、おどろきについては、あらためて書きのべないが、この店の主人・中村秀太良の、料理と接客に対する情熱の見事さは、いまも全く変るところがない。 【引用終わり】 として、最近の招福楼での食事の中身についての文章が、そのあとずっとつづくのである。 これの何が面白いのか?上手くは説明出来ない。 何とも言えない味のある文章、ちょっと前の東京の粋、何より池波正太郎の暮らし方・生き方。 そういったものが、文章の魅力を作っているのだろう。
読んでいるだけでお腹が空いてくる…。こういう人のことを、美食家と言うのだろう。出てくるお店は、必ずしも高級店だけではないけれど、どれもとても美味しそうで、そしてそれは単に食べ物の味が良いだけではなく、お店の佇まいや、主人のこだわりや、そこにいる人々の会話や、それらが作り出す空間とそこで過ごす時間全て...続きを読むが、「美味しい」のだと思う。 そして、馴染みのない店や時代なのに、描かれた情景がどこか懐かしく感じられるのは、亡くなった祖父と著者が同世代を生きた人だからだと気づいた。いつのまにか、祖父がお酒を飲むと時折語ってくれた昔話と重ね合わせて読んでいた。東京の西の郊外の貧しい家の出で、家族の誰よりも倹約家だった祖父は、きっとこんなに豊かな外食の経験はなかっただろう。けれど、美味しいものをつまみにお酒を飲む幸せは、戦争を経験しているからこそ、より一層強く感じていたのだと、今振り返ると思う。祖父にこの本を渡して、感想を聞いてみたかった。 「オリムピック」が、「科学とマシンと錯覚」が、東京を、そして日本の都市のあちこちを破壊してしまったと著者は言う。この本が書かれた30数年前は、まだ今よりは「良い時代」だったのではないかと思ってしまうけれど、それでも、日本に活き活きと根付いていた食文化は、既に刻々と変わり続けていたのだろう。そして、きっと著者は呆れるだろうけど、二度目の「オリムピック」がやってくる。私たちはまだ、破壊を続けているのだろうか。それとも、少しは何かを取り戻そうとしているのだろうか。 決して美食家ではなくても、お酒を飲み歩ける年齢になると、「この店は無くしちゃいけない」と思う店にたまに出会うことがある。でも、だからといって、その店が変わらずに永遠に続いてほしいと願うのも、無責任なことのかもしれない。ただできることは、通えるときに好きな店に通い、その味や時間を、しっかりと記憶しておくことだけなのだと思う。
池波正太郎の「鬼平犯科帳」のドラマが好きだったが、本で一冊も読んだことがない作家だった。エッセイなので読みやすい。単なるグルメ本っていうより、時代と町の風景、お店の佇まいなどを感じつつもおいしいものを読むことで堪能できる。いわゆる一見さんでは尻込みしちゃいそうなお店もあるけれど、蕎麦屋など本当に日常...続きを読む的に通ってらしたところも良く出てくる。東京は縁がないからあまりよくわからないけど、行ったことない浅草方面にも興味が湧いた。たまたまだけど、仕事で「剣客商売」のあらすじを書いた直後に読んだのもあって、作品が生まれた背景が出て来た時、おお〜っという感動があった。あと松本の「まるも」は、卒業旅行で旅館に泊まったことがあるので、いい選択したなぁと嬉しかった。時々文章が途中一文字抜けてる?と思うのが何箇所かあったのが気になったが(笑)とにかく旅に出かけてみたくなった。
"懐かしい昭和の料理屋を著者が思い出とともに語ってくれる。今はどれくらいのお店が残っているのだろうか?昭和の地図と今の地図を見比べて、池波正太郎さんが愛したお店を訪ね歩きたくなった。 東京オリンピックに関する記述もあり、感慨深い。 2020年に56年ぶりに東京オリンピックが開催される。 最...続きを読む初の東京オリンピックで、東京は都会に変わったとの記述がある。よきものを残すことなく破戒と創造を経たものが現在の東京らしい。 これからの7年でどんな都市を構築していくかは、われわれの世代の責任なのだ。"
読むとおなかがすく本。著者みたいに美味しいものをたべることにこだわりを持って生きていきたいなーと思いました。
資生堂パーラーに行きたくなった 浅草の金寿司は池波正太郎が通ってた頃はまだ綺麗だったのかなあ ここ最近でクーポールの名前を二回も目にするなんて!
シチュエーション込みで美味しそうなものを紹介するのでヨダレが出る。 大正生まれの作者だから、今ポジティブにしか語られない東京オリンピックとか、高度経済成長を昔の良さがなくなったと批判的に語るのが面白い。
戦前戦後の東京や各都市の良き風景や食の情景は、そこに身を置いた事のない私でも、その匂い、空気感に浸る事が出来てとても楽しかった。 著者が語る美味なるものの数々は、著者の言葉を拝借して「たまらない。。」の一言に尽きる。 そして時代の移り変わりを懐旧するただの食日記に収まらないメッセージを残す事を忘れな...続きを読むい素晴らしいエッセイでした。一部を抜粋。 「ーこのように書きのべてくると、いたずらに古いものをなつかしみ、それを追いもとめているようにおもわれようが、それでは、新しいものは何かというと、それは、だれもが知りつくしている味気のないものなのである。その味気のない新しいものしか知らぬ世代のみの時代がやって来たときには、味気もない世の中になることは必定なのであって、そうした世の中に慣れきった人びとは、味気なさをも感じることなく、さらにまた、新しい時代を迎えることになるのだ(略)新しい新しいといっても、究極の新しいものというのは何一つないのだ。新しいものは、古いものからのみ生み出されるのである。(略)この、わかりきっている一事を世界の人間たちが再認識せざるを得ない時代がやがてやって来るにちがいないと私はおもうー」 すっかり時代も様相も変わった『今』を池波氏が見たらどう思うだろう。古いものから生まれた『今』を認識し、古き良きものを再認識し、良いものを見失わない自分でいたい。
昭和52年刊行とのことなので、いまから45年も前。作中の池波氏は戦前の味の記憶に思いを馳せるので、こちらとしては、二重の想像が必要になる。 戦後の高度成長の大量生産大量消費は日本に富をもたらせたものの、環境と食文化の破壊を招いた。これは、初期の美味しんぼでも言及されている。 やがてバブルは弾け富への...続きを読む幻想が消えたとき、人間性を取り戻すため、志しの高い生産者や料理人を中心に、古き良き食文化の復興、レジスタンスは続いている。 街中はチェーン店で溢れているけれど、志ある名店が必ずみつかるはず。散歩のとき何か食べたくなって、の後につながるのは、まかり間違ってもMやKやSのはずはない。
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