プロフィール
- 作者名:新田次郎(ニッタジロウ)
- 性別:男性
- 生年月日:1912年06月06日
- 出身地:日本 / 長野県
- 職業:作家
電機学校(現在の東京電機大学)卒。『強力伝』が第34回直木賞を受賞。『武田信玄』がTVドラマ化。『アラスカ物語』が映画化された。その他作品に『芙蓉の人』、『聖職の碑』などがある。1979年に紫綬褒章、1980年には正五位勲四等旭日小綬章を受章。出生地の長野県諏訪市には新田次郎記念室がある。
作品一覧
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4.0亡くなった年に発表された遺作短篇集。 「もしも日本に帰れずに、かの地で死ぬようなことがあったら、私は必ず前歯にジェズスの教えのみしるしを刻みこんで置きます。」 本家の敷地内から発見された壺の中から、365年前にマカオに流された先祖の“遺言”が発見された。遺骨の行方を捜しにマカオを訪れた千葉裕平は、亡くなった娘・由紀子に生き写しの女性、葉銘蓮と出会う。果たして、“みしるし”を刻んだ遺骨は見つかるのか、そして葉銘蓮の正体は――。 マカオへの幻のような旅を綴った表題作に、八甲田山雪中行軍の外伝「生き残りの勇士」、イギリス公使オールコックが外国人として初めて富士山頂に立った顛末を描く「富士、異邦人登頂」など8篇を収録した短篇集。亡くなった年に出版された遺作のひとつ。
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-山岳小説の名手が挑むジュブナイル冒険小説。 海辺の町で暮らす三浦紫郎は、早くに両親を海難事故で亡くした小学6年生。大潮の日に、ある岩に耳を近づけると、誰かがつぶやくような不思議な音が聞こえるので、紫郎は「つぶやき岩」と名付けていた。 ある大潮の日、いつものように岩のつぶやきを聞いていると、岬の断崖に黒い顔をした老人が立っているのを見つけた。祖父によると、戦時中、岬には地下要塞が掘られていて、大量の金塊が隠されているという噂があり、それを探す“金塊亡者”が時折出没するらしい。 紫郎は担任の小林恵子やその弟・晴雄の協力を得て岬の秘密を探ろうとするが、その矢先に晴雄が殺されかけ、恵子の自宅が荒らされる。さらに紫郎自身も、何者かに命を狙われてしまう。 じつは、岩がつぶやく構造にこそ岬の秘密を解き明かす鍵があるのだが、はたして紫郎は真実に迫ることができるのか――。NHKでドラマ化もされたジュブナイル冒険小説の名作。
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4.7
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-義妹・マリアが選ぶのは双子の兄か弟か? 名峰ドライチンネで遭難死したイタリア人ガイドの娘・マリアは、ガイドのバディーであった日本人・鳥羽省造の元に引き取られ、2歳上の双子・博、豊とともにすくすくと成長する。10歳だった少女は、双子と同じく山登りが大好きな美しい女性になり、やがて省造が勤める会社のマスコットガールを務めるまでに。一方、大学生になっていた博と豊は、マリアへの募る思いを抑えることができず、ほぼ同時に愛を打ち明ける。 ふたりのどちらかを選ぶことができないマリアは、タレント活動に没頭する日々を送るが、ある日、博と豊が北アルプスで遭難したという知らせを受けて――。 きょうだいだが恋愛も結婚もできるという微妙な関係にある3人が織りなす、山を背景とした濃厚な人間ドラマ。
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4.01巻968円 (税込)富士山、故郷信濃、ヨーロッパ・アルプスなどを描いた新田次郎のエッセー・紀行集。 単行本・全集未収録作品を中心に52篇を収録、 作家の山岳・自然観、創作の背景をたどる。 ■著者紹介 新田 次郎(ニッタ ジロウ) 1912年、長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に生まれる。 本名藤原寛人。旧制諏訪中学校、無線電信講習所を卒業後、1932年、中央気象台(現気象庁)に入庁。 1935年、電機学校卒業。富士山気象レーダー(1965年運用開始)の建設責任者を務めたことで知られる。 1956年『強力伝』で、第34回直木賞受賞。 1966年、気象庁を退職し、文筆に専念。 1974年、『武田信玄』ならびに一連の山岳小説に対して吉川英治文学賞受賞。 1979年、紫綬褒章受章。 1980年2月、心筋梗塞のため逝去。正五位勲四等旭日小綬章。気象学者藤原咲平は伯父。妻ていは作家。
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3.0
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3.9映画「ある町の高い煙突」 2018年春撮影開始。 2019年春公開予定。 明治38(1905)年、買収によって茨城の地に開業した日立鉱山。やがて鉱山の宿命ともいえる煙害が発生。亜硫酸ガスが山を枯らし、農民たちの命である農作物までも奪っていく。 そこで、立ち上がったのが地元の若者・関根三郎(モデルとなった実際の人物は関右馬允)である。郷士であった名家に生まれ、旧制一高に合格、外交官という夢に向かって進んでいた。しかし、祖父・兵馬が煙害による心労で倒れ、人生が変わる。 こうして、地元住民たちと日立鉱山との苦闘のドラマが幕を開ける。 試行錯誤の末、1914年、当時としては世界一の高さを誇る155.7mの大煙突を建設し、危機を乗り切るのであった。 足尾や別子の悲劇がなぜこの日立鉱山では繰り返されなかったのか。 青年たちの情熱と今日のCSR(企業の社会的責任)の原点といえる実話を基にした力作長篇。
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4.3「父が精魂を傾けながら絶筆となってしまったこの作品を、必ずや私の手で完成し父の無念を晴らすつもりだ」――その公約を果たすためには、30余年の歳月が必要であった。本書は、「孤愁(サウダーデ)」を毎日新聞連載中に新田次郎氏が急逝、未完に終わった作品を息子である藤原正彦が書き継いで完成させた。ポルトガル人ヴェンセスラオ・デ・モラエスの評伝である。 「孤愁(サウダーデ)」とは、「愛するものの不在により引き起こされる、胸のうずくような思いや懐かしさ」のこと。軍人で、外交官で、商人で、詩人でもあったモラエスは、在日ポルトガル領事もつとめた。日本人のおよねと結婚、およね亡き後は妻の故郷である徳島に住み、その生涯を終えた。あまり知られていないが、モラエスの遺した詳細な日記や日本を題材にした作品が、日本の素晴らしさ、日本人の美徳を世界に知らしめ、「もう一人の小泉八雲」といわれている。 精緻で美しくも厳しい自然描写の新田次郎ファン、日本人の誇りと品格を重んじる藤原正彦ファン、双方の期待に応える一冊。
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4.0
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4.2
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5.0
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5.0
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3.4
ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
「人の不幸は蜜の味」などというが、まあ読書好きなんて人種は下世話なもので様々なカタチの他人様の不幸を自室でゆったりまったりと楽しんでやろう、なんて連中ばかりである。そういう意味で本書はその不幸の度合いが桁違い。なんせ世界最大レベルの山岳遭難事故なのだから。
弘前歩兵第31連隊と青森歩兵第5連隊の並列構造で進んでいく物語が希望と絶望のグラデーションとなり、ぐいぐいと真冬の地獄のような八甲田山の中に引き込まれる。しかしこの本の最も重要な点は案内人の記述である。雪山行軍を成功させた第31連隊を英雄の如く描写し第5連隊をある種の反面教師化させれば簡単なのだが、本書は第31連隊を率いる徳島大尉の案内人に -
Posted by ブクログ
「坂の上の雲」を読んだときは明治はチャンスに満ちて明るい時代だったのかなと思ったけど、この本を読むとまた見方が変わる。今と比べて根性論の方が科学よりも優位で階級社会や差別意識が強く残っている世の中の窮屈さみたいなもの感じた。無謀に挑まされることを強いられて途方もなく辛い思いをして気が狂って苦しくも無惨に死ぬようなことは、自分はもちろん家族にも絶対に経験させたくないと思った。今の時代でよかったと思った。
それと、寒さとか辛さとか自然の恐怖とか理不尽さとか人間の愚かさとかいろんなものをたった300頁あまりの文庫本でリアルに想像し擬似体験できる読書という行為の奥深さを改めて実感した。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1902年におきた八甲田雪中行軍遭難事件をモデルにした小説。
八甲田雪中行軍遭難事件とは、210人中199人が死ぬという、日本山岳史上最悪の遭難事故です。
遭難の描写は壮絶。
明治時代の日本軍の話なので、理不尽さも凄い。
吹雪の中、部下にラッパを吹かせるなど正気とは思えないですし、そのせいで唇が剥がれ凍死してしまった兵士が本当に可哀想です。
本作の主人公、神田大尉は、遭難中に現地解散を指示し、リーダーとしての責任を放棄してしまった人です。
しかし悪役には描かれていません。
責任は神田大尉が負っているのに、上官の山田少佐が同行し、あれこれ指示をだす。
平民出の引け目もあり山田少佐に逆らえず、 -
Posted by ブクログ
組織論やリスク管理などのビジネスの視点でも興味深い本でした。
参加者ほぼ全滅という結果になってしまった無謀な八甲田山の冬季軍事訓練。
メディアで見たことがある「ほぼ全滅」したのは青森の5聯隊であり、5聯隊と逆ルートで八甲田山越えを目指した弘前の31聯隊は「全員生還」したといいます。
この事実を知っている人は少ないのかもしれません。
最近読んでいた『ゴールデンカムイ』で、八甲田山の生存者といわれるアイヌの兵士が出てくるのですが、きっと31聯隊だったんだなあ...
この本は、八甲田山越えを成功させた31聯隊のストーリーのあとに5聯隊が描かれており、いわゆる「成功と失敗」の対比のようでわかりやす