「1951年、レニングラード」「線路に並べられた5つの死体」という帯の言葉が眼を引く。大戦後、スターリン支配下の共産国家の恐怖政治下の警察小説ということで、かなりの変わり玉だと思いつつ読んだのだが、期待通りの突然変異的な作品。どこにもないこの個性的作品に出会えたことはまさに収穫だった。
物語に未だ尾を引くナチスドイツとのレニングラード攻防戦について、作品では少なからず触れているが、兵糧攻めに合ったレニングラードは、長期に渡る攻防の下、圧倒的な飢餓に襲われ、その後遺症は物理的にも精神的にも戦後復興に向かおうとするこの都市には、まだまだ存分に吹き荒れていた。
スターリン指揮下の秘密警察による拉致と拷問と処刑の嵐が国中を席捲する中、人間同士の不信が高まり、少しでも油断すると密告され、疑獄の果ての処刑や行方不明へと繋がる。いわゆる足元からの危うさでいっぱいの恐怖時代と狂喜の如き国家制度の下で、本書登場の人間たちは一人残らず息苦しいほどの緊張を強いられる状況なのである。
警察官たちすら連れ去られると二度と帰らない。「線路に並べられた5つの死体」の警察官もほぼ全員が聖女の暗闇の中に消えてしまったため、捜査する者がいなくなり、レニングラード人民警察署のメンバーが雪を蹴立てて犯罪現場となった鉄路に赴く。五つの死体はすべて、指紋を採取すべき腕が切断され、全員の顔が剥がされ、完全な身元不明状態。ある者はレールに頭を乗せられ、ある者はレールの間に転がされている。
主人公の捜査官レヴォル・ロッセルは、かつて交響楽団のバイオリニストだったが、拷問を受けた際に左手の指を二本切断されたことで、楽器演奏ができなくなって久しい。この物語のタイトルが示すように、この奇妙な殺人死体は、音楽の世界にどこかで繋がっているかに思われる。
ロッセルの指を切断した拷問者ニキーチン少佐も本件に乗り出し、二人の奇妙な因縁のコンビはあろうことかこの運命の事件に、協力して捜査に絡んでゆく。凄まじい宿命の絡むこの事件を、遠い時代遠い向こう側の国に追いかけてゆくこのストーリー・テリングが凄まじい。格調高い芸術域に及ぶ音楽世界の語り口と、見えない影の国家による暴力の時代に真っ向踏み込んだ、逆境ミステリーの世界とが、ロッセルの眼を通して深刻に絡み合う。
対立と、処刑と、拷問と、裏切りと。凄まじい時代。歪んだ残酷な事件。それらを扱って、なお高い格調を保つ本小説は、フィリップ・カーによるナチス三部作の恐怖と緊張に満ちた捜査を思い起こさせる。二人の新人作家による極めて特異なシチュエイション設定が格別である。作家の一人は音楽家だそうだ。主人公ロッセルのモデルに投影された音楽への愛着には魂を込めているように感じられる。
各章の小題が音符で記されていることや、徐々に判明してゆく音楽との繋がり。眼を離せない伏線と、複雑な仕掛けに騙されつつ、ストーリーテリングの重厚な巧緻さに、最後には魂ごと持って行かれそうになった。当代における大変貴重な怪作として是非とも注目しておきたい作品である。