檀上寛の作品一覧 「檀上寛」の「永楽帝――華夷秩序の完成」「明の太祖 朱元璋」ほか、ユーザーレビューをお届けします! 作者をフォローする フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
作品一覧 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 新着順 新着順 人気順 評価高い順 価格安い順 価格高い順 陸海の交錯 明朝の興亡 3.9 学術・語学 / 教育 1巻946円 (税込) 中華と夷狄の抗争、華北と江南の対立、草原と海洋の相克――明の時代とは、このような混沌とした状況に対する解答であった。第四巻は、一四世紀の元末から清が台頭する一七世紀まで、三〇〇年にわたる明の興亡を描く。中国社会の多元性・多様性に対して、一元化・画一化の力学がどのように働いたのか、その顛末がここにある。 試し読み フォロー 明の太祖 朱元璋 4.3 ノンフィクション / 人物評伝 1巻1,155円 (税込) 疫病と政治的混乱の中、最下層民でありながら皇帝にまで登り詰め、約550年に及ぶ明清王朝の礎を築いた朱元璋。何がこの偉業を可能にしたのか。それは「聖賢と豪傑と盗賊の性格をかね備えていた」と清の智者・趙翼が指摘した資質によるものが大きいだろう。紅巾軍に身を投じた当初は盗賊の活動をし、地方政権を樹立するとひとかどの豪傑となり、皇帝となってからは諸々の制度を定め聖賢の働きをした。しかしこの三つの性格は時系列ではなく同時に併存していたのであり、治世中の残忍極まる大粛清も「聖賢」の紛れもない一側面であった。歴史上類を見ない巨人のドラマを、膨大な史料で描き出す。 試し読み フォロー 永楽帝――華夷秩序の完成 - 学術・語学 / 教育 1巻990円 (税込) 明朝第三代、永楽帝。甥である建文帝から皇位を簒奪し、執拗なまでに粛清と殺戮を繰り返し、歴史を書き換えて政敵が存在した事実まで消し去ろうとした破格の皇帝。その執念と権勢はとどまるところを知らず、中華の威光のもと朝貢国六〇余をかぞえる「華夷秩序」を築き上げた。それは前近代東アジアを律しつづけた中華の<世界システム>であった。 試し読み フォロー 1~3件目 / 3件<<<1・・・・・・・・・>>> 檀上寛の詳細検索へ
ユーザーレビュー 一覧 >> 明の太祖 朱元璋 ノンフィクション / 人物評伝 4.3 (6) カート 試し読み Posted by ブクログ 面白かった!ほんとうに 朱元璋は、理想を現実にするために、常に前を向いて進み続けた人なんだと思った。実際どうかは知らないけど、そう考えると熱い気持ちになれるから良い。 0 2023年08月08日 陸海の交錯 明朝の興亡 学術・語学 / 教育 3.9 (10) カート 試し読み Posted by ブクログ 明初体制は「固い体制」 だった。それは里甲制、身分・職業・移動の規制、現物経済の維持、朝貢一元体制などあらゆる面で国家が社会に規制をかけるものだった。この体制はそれまでの①中華と夷狄の抗争、②華北と江南の対立、③大陸中国と海洋中国の相克、これらを克服するのに必要だったのである。それは「近代世界システム」と異なる「中華世界システム」を生み出した。この明代に一つの画期を求め1巻丸ごとその歴史に充てる。そして明初体制とその後の経済社会の変化や北虜南倭との関係、明朝崩壊との関係が背景を含め、わかりやすく説かれる。 0 2021年01月20日 明の太祖 朱元璋 ノンフィクション / 人物評伝 4.3 (6) カート 試し読み Posted by ブクログ ネタバレ 元朝政治が政治闘争で乱脈をきたし、統治能力を失い叛乱が多発したことから筆が始まる。 明朝の構成員は功臣武官の淮西集団と知識人文官の浙東集団に大別。双方で対立はあったがいずれも南人であり、北方との統合を朱元璋は期す。 科挙実施も、合格者(=官僚)が南人ばかりを見て中断。 南人官僚や地主の不正蓄財を解消するために、胡藍の獄や六諭発行などの政策が行われたとの著者主張。 朱元璋自身の猜疑心もあるが、何より各人が己の分を守る理想的な儒教国家を成立させるために法を用いた厳格な他律的国家を作ろうとした。 0 2020年09月21日 明の太祖 朱元璋 ノンフィクション / 人物評伝 4.3 (6) カート 試し読み Posted by ブクログ 明王朝を立てた朱元璋は、即位後の残虐性がことさら取り上げられるが、モンゴル支配以来の華南の官民社会構造や、彼の部下たちの派閥争いなどの背景があり、そのモンダイヲ乗り越えるために画一的な価値観を示そうと強権的な手法に走ったのだと理解した。現代中国の構造理解にまでつながる、貴重な伝記。 0 2023年03月16日 陸海の交錯 明朝の興亡 学術・語学 / 教育 3.9 (10) カート 試し読み Posted by ブクログ 靖難の役(靖難の変)は明朝初期に燕王が建文帝に対して起こした内戦で、勝利した燕王が永楽帝となった。靖難は「君難を靖んじる」という燕王側の主張であり、君側の奸を除くという大義名分だった。結果は権力の簒奪であるが、最初は建文帝側が諸王の勢力を削ぐために、冤罪で諸王を削藩し、庶民に落としたり、自殺に追い込んだりした。これが問題であった。 0 2022年06月30日