作品一覧
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ユーザーレビュー
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正に本の醍醐味!
とても美しく、少し悲しさが残る作品でした。人や景色が目に浮かぶようでした。こういう、人へのさりげない愛情の表白って沁々と伝わりました。嘘がない、というのか。本当に綺麗な文章で、勝手に西行花伝の辻邦正さんを清岡さんの上に重ねていました。縁も縁もない私もいつか、先生のお墓参りをしたいです。こんな素晴らしい作品を知らずに人生終わるところでした。中高生の頃から書店で清岡さんの書棚の前を素通りしていた若き日の自分の無能さを、今は呪いたい。間違いなく枕頭の書にさせて頂きます。めが覚めました。清岡さんの歴史か羨ましいです。他の作品も楽しみにお仲間に加わらせて下さい。
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Posted by ブクログ
ネタバレ-2007.02.21記
所収作品は、「朝の悲しみ」(1969-S44)、「アカシアの大連」(1970-S45芥川賞)と、「大連小景集」(1983-S58)として出版された4つの短編「初冬の大連」、「中山広場」、「サハロフ幻想」、「大連の海辺で」を含む。
大正11(1922)年に大連で生まれ、昭和16(1941)年の一高入学までの幼少期を彼の地で暮らし、さらには東大仏文へ進むも、東京大空襲の直後、昭和20(1945)年の3月末に、「暗澹たる戦局の中を、原口統三、江川卓と日本から満州へ。戦争で死ぬ前にもう一度見よう」と大連への遁走を企て、1ヶ月余の長旅でたどりつき、昭和23(194 -
Posted by ブクログ
ネタバレその終りはやや唐突気味に幕を下ろした感があるが、それにしても愉しくも長い旅路だったように思う。
この詩と散文と批評の壮大な織物が書き起こされたのは1989年、月刊誌「新潮」の1月号からだった。その後、95年7月から数年の中断を挟みつつも、98年5月号に一挙に480枚を上梓し完結編とされた、という。
読後、ふっと心に湧いた小さな疑念がある。それは下巻全体のかなりを占める金子光晴に関する部分においては、藤田嗣治や岡鹿之助、あるいはブルトンらのシュルレアリストたちに触れた他の部分に比して、なんとなく滞留感というか一抹の重さのようなものがつきまとう、そんな気がする。その因は光晴という素材の資質によるも -
Posted by ブクログ
前半は小説家としての処女作"朝の悲しみ"と第二作で芥川賞の"アカシヤの大連"。40代の後半に20数年遡った時点のことを書く。自分は読メに数学者になりたかった頃をよく書いていて年齢も遡る年数もほぼ同じ。しかし清岡卓行が文筆の場を詩や評論から小説へ拡げたのは妻の病死を乗り越えるためだったし、彼の20代は戦争の只中で自殺することばかり考えていた。だから自分は甘いのだ!愛の悲しみではなく自尊心が傷つけられた安い感情とか、再婚するなら若くて美しい女性じゃなくては駄目とか、この作家はかなりエロチック。
後半は60歳の時4泊5日で大連を訪れた旅行記。大連で生まれ育っ