建築の専門家である大学教授による日本の林業に対する意見書。著者は、有識者会議など政府の委員も勤められた林業の専門家であり、現場にも頻繁に足を運び、日本の林業の置かれた現状をよく理解していると思う。日本の林業が抱える深刻な問題点を理解できた。また、著者には林業に対する並々ならぬ熱意があり、林業振興に努力する姿に感銘を受けた。田中淳夫著『絶望の林業』と視点は若干違うものの、結論は同じであり納得できる内容であった。勉強になる一冊。
「(伝統木造は作ることができない)「伝統木造」が仕様規定から外れるとなると、住宅といえども、マンションレベルに要求される難しい構造の計算が求められ、さらに「適合性判定」という構造計算の二重チェックにも回される。まっとうに「伝統木造」を建てようとすると、難しい計算をし、書類も作り、手数料も取られ、住宅建築としては、あまりに時間と費用がかかる。そのため、ほとんど建てることができなくなっている」p17
「「在来工法」とは、文明開化で導入された洋風木造を土台に、「お上」の権威のもとに体系化された「官」の技術である。
「伝統木造」は、昔からの経験や技術の蓄積をもとに大工棟梁が培い逐次新しい様式や技術を旺盛に取り入れながら徐々に発展を遂げたいわば「民」の技術である。「在来工法」は、「伝統工法」とは似て非なるものである」p22
「2009年10月27日に、兵庫県三木市の防災科学技術研究所の世界最大級の振動台に、実物の三階建ての木造住宅二棟を載せて実際の地震動を加えて揺するという大規模な実験が行われた。一方は、長期優良住宅仕様をさらに上回るように耐震補強されたまさに超優等生の耐震木造住宅。もう一方は、特別な対策を施していない普通の伝統工法の住宅であった。多数の見学者が固唾をのんで見守る中、二棟の建物に激しい揺れを加え始めると特別頑丈に造られた耐震住宅は一階が傾き始めたかと思うと、次の瞬間バランスを失って一瞬にして倒壊。実験施設の頑丈な床に叩きつけられて壁も柱も粉々に吹き飛び、周囲に猛烈な粉塵が舞い上がった。それとは対照的に濛々たる埃の中、伝統的な木造家屋は激震に耐えて何事もなかったかのように建っていたのである」p23
「(伝統木造の強さ)塔は見るからに住宅より不安定な形をしている。法隆寺の五重塔は、7世紀に建てられ、そのまま1300年の歳月に耐え、建ち続けている」p30
「日本が誇るべきはずの「伝統木造」を建てようとすると、法制度が建築のハードルを高くする。さらに各地で歴史的景観を形成する民家や町屋を修繕しようものなら、法制度に則り、抜本的に造り替えなければならない。先祖からの贈り物、将来へと受け継ぐべき財産が台無しである。文化という観点からも、日本はグローバルスタンダードから外れている」p48
「日本は土地所有において極めて私権が強く、基本的には自分の土地にどのようなものを建てようが、法律の範囲内であれば、自由である。今の日本では「建築」も、まずは儲かるかどうかが最優先になる。ヨーロッパは日本とは違い、魂までは売らなかった。日本の現状を知ったら、このABF(フランス建造物建築家)はなんと言うだろう。ユネスコの無形文化遺産に登録された技能で、一介の市民に家を建ててくれる建築大工技能士も、日本にはまだ存在している。しかしながら、これまで述べてきたとおり、彼らもその腕を振るう場が奪われたままである」p48
「長い歴史と文化を持つ先進国の中でも、現代日本ほど、大工を始めとする職人を社会の表舞台から裏へ追いやった国もない。職人の技能だけではない、近代科学や市場経済の理屈だけでは、うまく説明できない価値を、結果的に、これだけ壊してしまった先進国も他に見ない」p56
「日本のパスポートへの信頼度は世界最強である。この日本のすばらしさが、我が国の「強さ」だからこそ、現代において犠牲にされているとも思い、大事にしなければならないと改めて思う」p56
「本来A材として売るべき丸太も、B材として売らざるを得ない状況が発生している。同様にB材をC材で、C材をD材で、という具合に値段が下がり、用材になるはずの丸太が、そのままバイオマスのエネルギープラントに流れ出している。バイオマスのプラントでは、残ったD材を消費するのが本来の姿である。山から木を伐り出す仕事に補助金が下り、売る際にはFITをもとにした金額が支払われる。最近、山林所有者になった方が「1年に7000万円の補助金をもらい、伐った木の多くをバイオマスプラントに運んでいる」と言っていた。これでは補助金を使った資源の切り売りに近い」p63
「小さな役場では、一人で何役もこなし、部署も横断して対応する。このため発想も柔軟である。意思決定も早く、機敏で機動力もある。個々のアイデアを活かすチャンスもあり、実現も早い。この恵まれた条件を活かす方向で制度に工夫を凝らすべきだろう。木を扱う産業は、我が国に長く続く文化や伝統、その技能に直結している。そして地域毎に特色がある。つまり自然に差別化を図りやすいはずである。差別化は、競争力につながる。すでにある条件を活かして地域産業を発展させることに持続性が期待できる」p67
「JIS規格の認定料は高すぎる。省庁の担当者からJIS規格の検査機関はボランティアではないため、料金を下げるわけにはいかない、という回答も聞いた。一体、誰のための制度なのだろうか」p72
「JIS制度を設計し直すことにより、中小の製材所には大きなチャンスが生まれる。中小の製材所が挽いているのは、木の持つ性質を、十分に活かそうとする製材品であり、このため付加価値も高いことはすでに述べた。当然、山に還るお金も多い。中小の製材所は、日本林業が誇る木を材に仕上げる所である。林業の活性化につながる。山村の仕事が活気を帯び、経済が潤うことにつかがっていく。こうした製材所は、地元の若者のみならず、UターンやIターン者に職場を提供し、地域社会の顔として、多面的な役目を果たしてきた。JIS制度は、これら中小の製材所にも有益性を感じられるものにし、中小の振興につながる工夫が求められる」p72
「製材所の規模にかかわらず、JIS規格の認定取得と保持が、もっと現実的なものになれば、中小からも大型物件に木材を納めやすくなる。1社で一度に大量に挽けない中小の製材所が、同じJIS材として、共同で集めて、納めることもできる。構造計算をするためには、強度がわかっているJIS材の方が扱いやすい。このため多くの人が利用する建築では木材はJIS材が条件になることが多い」p73
「担当官庁は、JIS材の流通を増やすべく大型予算を計上していると説明した。しかし、必要なのは「予算獲得」ではない。林業は自立した「産業」であるべきだ。そうならば、行政の手を離れて、自分の意志で決定し、リスクをとって稼ぎ、力強く自立した「産業」に再生するよう、制度設計に工夫を凝らすべきである。「予算獲得」は、多くの場合、行政の干渉を意味してきた。予算の拡大、それは、すなわち担当官庁の権益の拡大を意味することがほとんどである」p74
「補助金は現場を受け身にさせ、常識的な人でさえ、今もらえる補助金を頂戴することに邁進し、そのお金の使い方に自分の考えを奪われ、そして年度内に補助金を使い切ることに消耗する」p74
「還暦を過ぎた宮大工が「大変な時代が来た」と言って教えてくれた。原木市場に木材を買い付けに行ったら、建築用材となるはずの丸太が、トラックごとバイオマスプラントへ直行するのを見たそうだ。政策を決めた側は「用材になるはずの丸太が、バイオマスプラントに運ばれるなんてことはあり得ない」と言う」p76
「当初からFITの期間だけ、儲けるだけ儲けて辞めるという業者もいる。木を伐ると補助金がもらえ、売る際にはFITでお金がもらえる。20年保証の官製ビジネスが出来上がってしまった。バイオマス用の資源は、国内外ですでに足りなくなっている。プラントが立地したところでは、製材業と木の取り合いになっている」p90
「数年前から四国では、本来、用材にできる質のものまで、バイオマスに使われている状況に県レベルで危機感を抱くようになっている。各地で用材となるはずの丸太が、プラントに流れないように監視が強化されているとも聞く。そもそも行政が監視を強めなければならなくなった時点で、制度設計にミスがあると考えるべきではないだろうか」p90
「近年において、木の値段が下がる原因の一つが補助金である。山に木を植えて育て、山に道をつけて伐り出すという仕事の過程の一つ一つに補助金が用意されている。現代の日本の林業は、まず補助金ありきで、生産コストへの感覚が鈍くなっている」p100
「木の値段が下がるもう一つの原因は、木を大量消費する大型工場が補助金の支援を受けて、次々に作られたことだ。大型工場では集成材や合板の材料として、また再生可能エネルギーの燃料として木が大量消費される。さらにその取引価格が、買い取る側に、ほぼ一方的に決められてしまう所が出てくる。少々安くても買ってもらえるのであれば、補助金をもらい、木を伐って出すことで手元にお金は入る。そういう木を大量に買う大型工場も、補助金で誘致されていたりする。質の良い木を少しでも高く売りたいと思う事業者でも、誘致した大型工場へ一定量を納めなければ補助金を出さない、と地方公共団体から言われてしまうこともある。こういった大型工場は、丸太の質をあまり問わない。欲しいのは安い木である」p100
「林業の将来を考えれば、補助金は山林環境全体の保全に使ってほしい。しかし現実はそのようには動いていない」p102
「白書などでは戦後、植えられた杉、檜の人工林ばかりに焦点が当てられる。しかし家具材として求められているのは主に広葉樹である。用材にする広葉樹は値も高い。木造建築にも広葉樹は使われる。広葉樹の市に参加したことがある。針葉樹のそれより、よほど活気を帯びていた。広葉樹は、杉、檜などの針葉樹と比べ、植えて育てるのは確かに難しい。しかし山に欅(広葉樹)を植えて育てている林業家に会ったこともある。現代の我々は、この豊富な資源のごく一部にしか目が行っていないのかもしれない」p118
「日本ではありふれた杉、檜もグローバルな視点で眺めると貴重な資源である。しかも世界的には森林面積は減少しており、木材は不足していく一方なのだ。その資源が我が国には、莫大に存在し、増え続けている。であるならば「内ではなく外へ」「今ではなく将来へ」の戦略が求められる。ところが、日本の政策は、世界情勢をにらんだ攻めの戦略を練っているようには見えない」p120
「中央から降ってくる補助金をもらい、その「取扱説明書」に従うと、結果的に好ましくない状況が発生する。地域性を無視した全国一律の「取扱説明書」だからである。山林のことは、そこにいる人以上にわかる人はいない。彼らの積極的な意思と創意工夫を摘んでしまうのは、本質的な林業振興を妨げる」p122
「ヨーロッパ先進国で林業が盛んなのは、林業で儲かり、生活できるからである。木を植えて、育て、伐って、また植えれば、生活できる、そして山にもお金が還り、資源が再生する。これが実現する環境さえ整えばいい。木材需要の量と価格が、適正なものに安定していけば、産業として回りだすだろう。イノベーションも現場が起こしてくれる。日本もこの林業の外の環境さえ整えば、ここまでややこしいことにはならなかっただろう」p123
「政策での林業の「生産量を上げる」「自給率を上げる」という目標を掲げる。そこには「いかに量を出すか」ではない、「いかに高く売るか、質を売るか」の視点が欠けていた。いくら「量」を、捌(さば)いたとしても、それが切り売り、叩き売りであれば、その先は続かない。資源を出せば出すほど、山林も山村も疲弊する。そして現場では、山や木に携わる人の思いや考えが失われていく。これが最悪である」p134
「労働災害の強度を示す指数に「年千人率」がある。その産業において、年間、どれぐらいの死傷者が出るかを千人あたりで示した数である。2019年の全産業平均2.2に対して、林業は20.8。ちなみに農業の値は5.2、漁業の値は7.3。死傷事故が多すぎる、このため保険も高く、従業者を正規に雇用しづらい。ここにも林業の制度上の課題がある」p149
「(日本の林業の国際競争力評価は難しい)日本から輸出している木材の生産には、多額の補助金がつぎ込まれている。山に道を造るにも、林業機械を買うにも、そして山中から立木を間引くにも、何事にも補助金がついている。その結果、日本の木材が国際競争力を得ているとしても、補助金の力に過ぎないではないか。税金を投じた、破格のバーゲンとも言える」p161
「原木をそのまま輸出していては、製材加工で生じる付加価値も雇用も日本ではなく海外に落ちる。まずは補助金を取り戻す仕組みと、国内製材加工業や山村を潤すことを考えてから輸出を伸ばしたい」p161
「2012年「木材生産額」1966億円に対して、林道と造林の行政投資実績額だけで2394億円と木税生産額を超えている」p164
「30年間で、しめて林道7兆9822億円、造林4兆466億円。合わせて12兆288億円を超えている。林業には、この林道、造林以外にも、まだ他にさまざまな補助金がある」p166
「林業政策を見ていて疑問に思うのは、どれだけ予算を獲得したかで評価され、その後は、補助金その他で予算消化に邁進するのが仕事になっている部署が、役所に存在していることである。そして優秀と言われる人ほど当たり障りのない報告に長ける。このような能力を磨いたところで、産業の成長に貢献するだろうか」p169