笹山敬輔の作品一覧
「笹山敬輔」の「笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗」「昭和芸人 七人の最期」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「笹山敬輔」の「笑いの正解 東京喜劇と伊東四朗」「昭和芸人 七人の最期」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
誰もが知るドリフターズの笑いは分かりやすか
ったですね。
当時は眉をひそめる大人もいましたが、今から
考えるとカワイイものでした。
これほど日本中を笑いの渦に巻き込んだドリフ
ですが、その歴史を振り返った本は少ないので
す。
著者はこの本では「ドリフの語りにくさ」を前
書きで語っています。
その理由は、初期の頃からマンネリを言われ、
子供相手に大いに受けた笑いは、わかりやすい
が故に、それ以上の解釈を必要とされなかった
からでは、と考察しています。
しかしドリフは今も連綿と続く「お笑いの歴史」
を作ってきたのです。
あのドタバタギャグの裏には、こんなに苦難に
満ちた歴史があったこと
Posted by ブクログ
昭和を代表する国民的グループ、ザ・ドリフターズ。その結成から終焉まで「全員集合」を中心に描く。
自分にとって昭和のお笑いと言えば何より思い出すグループ。欽ちゃんともひょうきん族とも異なる笑いの世界。
実はもともとはクレイジーキャッツと同様のバンドグループ。確かに思い出してみると高木ブーや仲本工事、加藤茶が嬉々として楽器を演奏していた場面を思い出す。
いかりや長介のリーダーシップ、天才加藤茶。そして荒井注から志村けん。
ドリフのコントの特長は徹底的な稽古主義と生中継。木曜からひたすら稽古、直前まで台本を書き換え、土曜夜の公会堂での生中継に備える。本書は美術等のスタッフの証言も多く記録され
Posted by ブクログ
多くのバンドがめまぐるしくメンバーや名前を変えて活動していた時代。
ドリフターズという名を付けたバンドが日本にできたのは1956年。
坂本九や小野ヤスシもドリフのメンバーだったことがある。
いかりやが参加するのは1962年(31歳)。同じころに加藤も加入(19歳)。
1963年は、小野ヤスシ、いかりや、加藤、その他5名の8人構成で、木の実ナナも参加していた。
当時はクレイジーキャッツのようなコミックバンドが数多くあり、ドリフもその路線を継承することになる。
1964年に小野ヤスシら主力メンバー4人がドンキー・カルテットを結成して離脱する。
ドリフはバンド存続のためにメンバー探しに奔走し、6