作品一覧

  • 無きが如き
    -
    1巻660円 (税込)
    原爆投下から30数年後、〈女〉は長崎を訪れた。坂の上の友人の家で、人々と取り止めのない話を交わしながら、死んでいった友たちや、14歳で被爆した自らの過去を回想する。日々死に対峙し、内へ内へと籠り、苦しみを強いられ生きる、被爆者たち。老い。孤独。人生は静まり返っているが、体験を風化させはしない。声音は、低く深く響く。原爆を凝視する著者が、被爆者の日常を坦々と綴る名篇。
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ
    4.3
    1巻1,463円 (税込)
    如何なれば膝ありてわれを接(うけ)しや──。長崎での原爆被爆の切実な体験を、叫ばず歌わず、強く抑制された内奥の祈りとして語り、痛切な衝撃と深甚な感銘をもたらす、林京子の代表的作品。群像新人賞・芥川賞受賞の「祭りの場」、「空罐」を冒頭に置く連作「ギヤマン ビードロ」を併録。
  • 上海・ミッシェルの口紅 林京子中国小説集
    4.0
    1巻1,562円 (税込)
    戦争の影迫る上海の街で、四人姉妹の3番目の「私」は、中国の風俗と生活の中で、思春期の扉をあけ成長してゆく。鮮烈な記憶をたどる7篇の連作小説「ミッシェルの口紅」と、戦後36年ぶりに中国を再訪した旅行の記「上海」。長崎で被爆して「原爆」の語り部となる決意をした著者が、幼時を過ごしたもう一つの文学の原点=中国。
  • 長い時間をかけた人間の経験
    4.5
    1巻1,254円 (税込)
    圧倒的事実の<生と死>――8月9日に、すでに壊された<私>。死と共存する<私>は、古希を目前にして遍路の旅に出る。<私>の半生とは、いったい何であったのか……。生の意味を問う表題作のほか、1945年7月、世界最初の核実験が行われた場所・ニューメキシコ州トリニティ。グランド・ゼロの地点に立ち《人間の原点》を見た著者の苦渋に満ちた想いを刻す「トリニティからトリニティへ」を併録。野間文芸賞受賞作品。 ◎林京子――私は立ちすくんだ。地平線まで見渡せる荒野には風もない。風にそよぐ草もない。虫の音もない静まった荒野は自然でありながら、これほど不自然に硬直した自然はなかった。荒野は、原子爆弾の閃光をあびた日以来、沈黙し、君臨していたガラガラ蛇の生さえ受けつけなかった。大地は病んでいたのである。<「著者から読者へ」より>
  • 希望
    -
    1巻1,463円 (税込)
    1945年8月9日、長崎に投下された原爆によって、絶望が始まった。しかし、長い時間の末に、被爆者たちにも、一筋の光が見えた。もう悲劇を繰り返さないように。祈りの短篇集。 ――8月9日、長崎で被爆した人たちの苦悩が始まった。生と死の狭間を体験し、未来への絶望との闘いの日々に、彼らは、時の流れで癒されていったのであろうか。自らの足跡を確かめ、振りかえり見つめ続けた著者が、いつかその運命を希望へと繋げていく……。3月11日を経験した、すべての日本の人々に捧げる、林京子の願いと祈りを込めた、短篇集。 ※本書は、『谷間』(講談社刊 1988年1月)『希望』(講談社刊 2005年3月)を底本としました。
  • 谷間/再びルイへ。
    -
    1巻1,672円 (税込)
    昭和20年、長崎の兵器工場学徒動員で、被爆。多くの死をくぐり抜け、少女は生き残った。結婚、出産、幼い命を育てるのは、恐怖との闘いであった。20数年後の離婚、それは個の崩壊であり、8月9日の闇なのか。80歳を越えて書いた小説「再びルイへ。」は、著者の歩んだ人生への回答、あるいは到達でもある。川端賞受賞作「三界の家」を含む、心うつ短篇小説集。
  • やすらかに今はねむり給え/道
    -
    1巻891円 (税込)
    昭和20年5月から原爆投下の8月9日までの日々――長崎の兵器工場に動員された女学生たちの苛酷な青春。一瞬の光にのまれ、理不尽に消えてしまった〈生〉記録をたずね事実を基に、綿密に綴った被爆体験。谷崎潤一郎賞受賞作「やすらかに今はねむり給え」のほか恩師・友人たちの最期を鮮烈に描いた「道」を収録。鎮魂の思いをこめた林京子の原点。
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    被ばく特集であげられた本である。タイトルから小説だと思っていたらそうではなく長崎の軍需工場勤労動員の時に被ばくした自分とその友人の体験を書いたものであった。被ばくの後遺症がどのように出てくるかについて自分の体験だけではなく医者へのインタビューでも書かれていたのでわかりやすい。トリニティからトリニティへという短編も併設されていた。これは原爆投下実験の博物館(あるいは記念館)としての軍基地に行った体験談である。
     単行本では、背表紙が薄い同色系のアイボリーピンクで書かれているので見つけづらかった。

    0
    2023年08月26日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    すごい本だった。打ちのめされるとはこのこと。読まずに死ぬ事態にならなくてよかった。教えてくれた先生に心から感謝。
    考えてみれば原民喜も読んだことがないのだが,絶対に読んだ方がいいな。

    0
    2022年09月28日
  • 祭りの場・ギヤマン ビードロ

    Posted by ブクログ

    被爆の痛みを知らず、また、忘れ、日々を安らかに生きる私たちにとって、林京子の徹底した“傷を負った者”側からの描写はあまりにも痛くて重い。まるで「被爆について、誰もがあまりにも無知に日々を過ごしすぎる」と言ってるように感じられる。または「被爆者が精神的にも肉体的にも深く負った傷を、自分のものとして受け入れることが、現代に生きるすべての人間に課された宿命である」とでも言うように。

    『「どこの女学生さんじゃろか。可哀そうか。」…洋子は死んでいた…膝を抱いたまま、死んでいた。女の一人が「かわいそうに、ハエのたかって」と横顔に群がるハエを、手で払った。…太陽に向って飛んで行くハエを見おくりながら、洋子

    0
    2018年11月03日
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    思えばかつて大田洋子『屍の街』『半人間』=原民喜『夏の花』=林京子『祭りの場』=中沢啓治『はだしのゲン』=『原爆の図』丸木位里・俊=峠三吉『原爆詩集』=井伏鱒二『黒い雨』に対して、何故?巨大な原爆に立ち向かうのにこんなにも数少ない作品でいいのかしらと疑問に思いながらも夢中になっていた頃、おそらく表現と告発の違いもまだ解っていなかったのでした。

    それに、ほとんどの人がこういう傾向のものに何の興味も示さないことも。

    「人間にハエがたかる。うじ虫がわき人間をつつく」

    このとき、林京子の『祭りの場』は、私には、被爆という残虐な悲惨極まりない稀有な体験をありのままに書いている私小説としてだけでなく

    0
    2011年09月19日
  • 長い時間をかけた人間の経験

    Posted by ブクログ

    被爆から数十年を経て、原爆症ではなく「老い」による死を間近に感じた著者は遍路に出立する。
    それは行方をくらました友達カナの意志を遂行する道程であり、あるいは著者とは異なる戦後を歩んできた被爆者との出会いを想起させる旅でもあった。
    「長い時間をかけた人間の経験」では、身体に放射能を抱え込んだまま生を歩むことが問題化されている。

    「トリニティからトリニティへ」は、ヒロシマナガサキへの原爆投下に先立って世界ではじめての核実験が実施されたニューメキシコ州トリニティ・サイトへの旅を綴ったものである。
    日本人、被爆者、被爆する前の自分、そしてまた被爆者へと著者の意識が移り変わっていく場面が印象的だった。

    0
    2011年01月06日

新規会員限定 70%OFFクーポンプレゼント!