田中圭一× 『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』藤原カムイ先生インタビュー

「ロト紋」藤原カムイ先生インタビュー

「漫画家が命を込めた一コマ」にフォーカスした独占インタビュー企画!第7回は『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』などで人気の藤原カムイ先生だ!今回、藤原先生が選んだ「一コマ」は、意外にもデビュー前に描かれた作品だった!
[インタビュー公開日:2015/01/16]

今回のゲスト藤原カムイ先生

今回のゲスト 藤原カムイ先生

東京都荒川区出身。1979年、第18回手塚賞佳作でデビュー(藤原領一名義「いつもの朝に」同期受賞者に北条司、野部利雄など)。
代表作に『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』『雷火』『西遊記』などがある。現在『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)で『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章~紋章を継ぐ者達へ~』を連載中。

今回の「一コマ」作品   『彼方へ Dr.カントの宇宙創世記』 (※別サイト)

彼方へ Dr.カントの宇宙創世記

藤原カムイの初長編作品(未完)。主人公のDr.カントとカイネという少女が、ホライズンと呼ばれる幻想的な世界を旅しながら仲間を求め、現世を救おうとする物語。マンガ誌『コスモコミック』(サンポウジャーナル)にて連載予定だったが、第1話の完成直後に雑誌が休刊。現在は竹熊健太郎が編集長を務めるWEBマンガサイト「電脳マヴォ」に、第1~7話が掲載されている。

インタビュアー:田中圭一(たなかけいいち) 1962年5月4日生まれ。大阪府出身。血液型A型。
手塚治虫タッチのパロディー漫画『神罰』がヒット。著名作家の絵柄をまねたシモネタギャグを得意とする。また、デビュー当時からサラリーマンを兼業する「二足のわらじマンガ家」としても有名。現在は株式会社BookLiveに勤務。

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インタビューインデックス

  • 他の漫画家が描く予定だった『ドラゴンクエスト外伝』
  • デビュー前の作品とは思えない『彼方へ』の「一コマ」
  • 不運に見舞われた名作『彼方へ』

他の漫画家が描く予定だった『ドラゴンクエスト外伝』

――まず、『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』(以下、『ロトの紋章』)を描くことになった経緯について聞かせてください。

『月刊少年ガンガン』 (※1)の創刊時に「何か描いてください」と、原稿依頼があったんです。ゲームのエニックスさんがマンガ雑誌を出すのならと、趣味で描いた「ドラクエマンガ」を持っていって「ドラゴンクエスト (※2)の外伝的な作品を描きたい」と提案しました。ところが、「ドラクエマンガは他の先生が描くことが決まっているので、別の作品でお願いします」と言われたんですね。けれど2~3日後に、その作家さんが描けなくなったと編集者から連絡がきて、結果、僕がドラクエマンガを描くことになったんです。

※1 『月刊少年ガンガン』
スクウェア・エニックスが発行する月刊少年マンガ誌。エニックス時代の1991年3月12日に創刊。
※2 ドラゴンクエスト
略称はドラクエ。スクウェア・エニックス(旧エニックス)が発売している、コンピュータRPGのシリーズ作品。
1986年に第1作「ドラゴンクエスト」が発売され、2014年時点でパッケージゲーム累計出荷本数は6,400万本以上(27作品)にのぼる。
シリーズ第1~3作の「ドラゴンクエスト」「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」は"ロト三部作"であり、マンガ『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章~紋章を継ぐ者達へ~』を含めて時系列で並べると、「III」⇒「ロトの紋章」⇒「紋章を継ぐ者達へ」⇒「I」⇒「II」となる。

――それはラッキーでしたね。その作家さんが描けなくなった理由はご存知ですか?

その作家さんの絵が鳥山明さんの絵にあまりにも酷似していたからだそうです。

――なんと!絵が似すぎているとダメなんだ……。

そんな理由ないだろって思いましたよ、その時は(笑)。

――そうですよ!そうですよ!そうですよ!絵がそっくりっていうのは「原作への愛」の結果じゃないですか!その方だってドラクエが好きで鳥山明さんが好きでそうしたのにねぇ。パロディするつもりでそっくりに絵を似せるのは絶対に許されない行為ですけれど(笑)。

僕に決まったのは、ドラクエマンガを提案していたからというのもあるんですが、創刊の前に堀井雄二さん (※3)が僕の作品『チョコレートパニック』 (※4)を読んでいて、藤原カムイならいいんじゃないかと話されていたらしいんですね。それもあって、最終的に僕に決まったんです。決定に際してはそれも大きかったみたいです。

※3 堀井雄二
ゲームクリエイター・作家。「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親であり、日本のテレビゲーム業界に多大なる影響を与えた人物の1人。
※4 『チョコレートパニック』
『月刊スーパーアクション』(双葉社・1987年に休刊)で連載されていた、東京へやってきた3人組、マンボ・チンボ・チョンボが巻き起こす珍騒動を描いたシュールギャグコメディ。1985年には「ザ・チョコレートパニック・ピクチャーショー」というタイトルでアニメ化された。

――確かに、『チョコレートパニック』のキャラクターは、どことなく顔がスライムっぽいですよね。

というより、『チョコレートパニック』の中にドラクエっぽいファンタジー作品を描いていて、それが目に止まったらしいです。

――もともとドラクエマンガを希望していたのですから、願ったり叶ったりだったんですね。

実は最初に企画を持っていった時は、鳥山明さんそっくりな画風でやろうと思ったんですけど、そういう経緯を聞いたので、さすがに絵柄は変えることにしました。

――連載が始まって苦労した点は何ですか?絵柄を変えることでしょうか?

それよりは、いかにキャラクターが持っている鳥山明テイストを崩さないようにするかということでした。
当時は作画のための資料が少なくて、ゲーム内のドット絵だけが頼りだったんです。少ない情報から必死でキャラクターをおこしていましたね。

――ファミコン時代のソフトだから、ドット絵のキャラクターも小さくて大変だったでしょう?

ゾーマ (※5)の資料が全然なくて、ドット絵から想像で補って描いていたら違うと言われ、じゃあオリジナルを見せて!と言ったらデザイン画を見せてもらえました。確かに指摘された通りで、頭にかぶっているカブトが膨らんで見えたので、てっきりゾーマはデブキャラだと思っていたんですけど、デザイン画で見ると全然違いましたね。

※5 ゾーマ
ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズに登場するキャラクター。「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」における大魔王でありラスボスである。『ロトの紋章』では、ゾーマが倒されてから100年後の世界が描かれている。

――「ドラクエマンガ」を描いているのに、資料が少ないというのは大変ですよね。

スライムもドット絵を参考にしているので、僕のマンガのスライムは目が縦長なんですよ。

――そうか、テレビのドットだと正方形じゃなく長方形だから縦長に見えるんですね。

――ファミコンソフト「ドラゴンクエスト」を初めてプレイしたのは20代ですか?

そうですね。発売してすぐだったと思います。

――発売される前からドラクエの情報をいろいろと知っていたのですか?

いえ、たまたま手に入れました。あの頃は面白いファミコンソフトがないかと、いつも探していたんです。そんな時に鳥山明さん (※6)のジャケット絵が目に飛び込んできた。ジャケ買いですね(笑)。
当時はRPGを知らない人が圧倒的に多かったし、僕もよく分かってなかったんです。それに、鳥山明さんにしても『Dr.スランプ』を知っていたくらいで、熱心な読者というわけではなかったですね。

※6 鳥山明
愛知県出身の漫画家・デザイナー。1978年に『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて「ワンダーアイランド」でデビュー。代表作『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』はいずれもテレビアニメ化された。また「ドラゴンクエスト」シリーズなどのゲームやマスコットのキャラクターデザイン等を多数手掛けている。

――「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」が発売される頃には、もうドラクエは社会現象でしたよね。本当に、僕らにとって革命的なゲームでした。

「ゲームにストーリーを持ちこめる」という点が、何よりも驚きでしたね。

――シューティングやパズルなどが主流の時代に、初めてストーリーを進めるためのゲームが登場したんですよね。それと、サウンドも良かったですよね。

プレイする人の耳に残って、それでいて聴いていて苦にならない。ゲームサウンドのあるべき形だったと思います。

デビュー前の作品とは思えない『彼方へ』の「一コマ」

――さて、今回の「一コマ」作品『彼方へ Dr.カントの宇宙創世記』(以下、『彼方へ』)について伺いましょう。この『彼方へ』は、なんと藤原さんのデビュー前の作品です。それにしても、すごい絵ですよね。デビュー前の新人とは到底思えない。バンド・デシネ(以下BD) (※7)のアーティストが描いたような作品ですよね。
クオリティの高さもさることながら、70年代後半のあの当時は、BDなんて単語すら世の中に知られていなかったですから、既にBDに傾倒していたという事実も驚きです。デザイン学校時代の同級生・竹熊健太郎さん (※8)が、これを見て腰を抜かしたという逸話も頷けます。

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