長野正孝作品一覧

  • 古代史の謎は「鉄」で解ける 前方後円墳や「倭国大乱」の実像
    4.3
    船をつくるための鉄斧や武器となる刀の材料になるなど、鉄は古来きわめて重要な資源であった。紀元前から倭人は鉄を朝鮮半島から輸入していたが、1~2世紀に『後漢書』などが伝える「倭国大乱」が起こる。著者はこれを、高句麗の南下によって起こった「鉄の爆発」を伴う社会変革だと考える。それ以降、日本に遊牧民の文化である「光る塚」がつくられ、「鉄の集落」が全国で形成された。そして、都市国家連合である「倭」は朝鮮半島の海上権益を巡り、四世紀末から高句麗と戦うことになる。騎馬民族高句麗は非常に強く倭は軍事的に敗北するも、伽耶国の鉄工業が河内に導入され、ヤマトの工業力は高められた。一方、前方後円墳が大量に築造されるが、あの不思議な形は鉄の交易に関わる秀逸なアイデアの賜であった――。船と港の専門家が、鉄の交易に着目し日本の原像を探る。ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』著者、竹村公太郎氏も推薦!

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  • 古代史のテクノロジー 日本の基礎はこうしてつくられた
    3.7
    縄文時代に建てられたという、三内丸山遺跡の通称「縄文タワー」。縄文人は人力だけでどうやってこの15メートルの塔を建てたのか? 技術者である著者が精緻にそのプロセスを解説する。また、塔の目的は「狼煙台」であり、宗教上の施設ではなく、ヒスイの交易のために建てられた塔だと説く。さらに、近世まで奈良に「奈良湖」があったことを突き止め、奈良湖と大阪湾に通じる水路である「河内・大和大運河」など、重要な交通手段である水上交通に着目し古代日本の実像に迫る。「古代人は治水を考えなかった」という専門家ならではの仮説も提唱。 ●秀でていた丹後と出雲のハイテク技術 ●造船には高度の木工技術が必要であった ●六世紀、大和川では帆船が走っていた ●技術者集団としての渡来商人の実像 ●岡山・津寺遺跡の築港技術が19世紀オランダの技術に酷似 ●出雲大社はもともと「水飲み場」だった ●難波津――港ができるような地盤ではない
  • 古代史の謎は「海路」で解ける 卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す
    3.2
    「魏志倭人伝」によると、卑弥呼の特使である難升米(なしめ)が洛陽まで約2000kmの航海を行ったという。耶馬台国が畿内の内陸にあった場合、彼らは本当に対馬海峡を渡ることができただろうか。またこの時代、瀬戸内海は航路が未開発であったため通ることができず、交易は主に日本海側で行われたと考えられる。当時の航海技術や地形に基づき、海人(かいじん)の身になって丹後半島の遺跡に身に置けば、鉄と翡翠で繁栄する「王国」の姿が見えてくる……。 さらに雄略帝の「瀬戸内海の航路開発」や応神帝の「海運業」、継体帝が拓いた「近畿水回廊」、「大化の改新」の陰に消された「倭京」などの謎を、港湾や運河の建造に長年従事してきた著者が技術者の「知」で解き明かす。ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』の著者、竹村公太郎氏も推薦!

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  • 古代の技術を知れば、『日本書紀』の謎が解ける
    4.0
    日本最初の正史である『日本書紀』には頻繁に軍隊の派遣がある。当時の交通の技術を考えれば、特に冬季における軍隊の移動が難しいことは明白であるにもかかわらず、なぜ冬場の行軍の記述が数多くあるのだろうか? また、対馬で二世紀ごろから海の安全を祈る太占やアマテラスの信仰が行われていたこと、そして、出雲や丹後が交易で栄えていたことに、『日本書紀』はなぜ触れていないのか? 対馬、壱岐、丹後、敦賀など現地を訪れ、技術者の視点で先入観を排して分析すると、『日本書紀』の実質的な編纂者である藤原氏の深謀が明らかになった。さらに、巨大な大仙陵古墳(伝・仁徳天皇陵)がいかにして建造されたかについても、同じく技術者の視点で考察する。かつて広島港や第二パナマ運河などの計画・建造に従事した「海の技術屋」が、古代史研究の盲点を突く意欲作。20万部ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』著者、竹村公太郎氏推薦! 【目次より】●対馬はなぜ泡(うたかた)の国とされたのか ●海路でつながる壱岐、沖ノ島の神々 ●神功皇后の九州遠征――奪われた九州の遺産(レガシー) ●「倭の五王」の国・出雲王国 ●神武東征――国威発揚と国土荘園化 ●虚構から現実の歴史に――継体天皇の淀川凱旋 ●隠され、無視され続けた古代海洋王国群 ●巨大古墳群の謎――百舌鳥・古市古墳群考察 ●『日本書紀』の呪縛を解く

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