本の泉社作品一覧
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-不慣れな南仏でトンチンカンな珍道中。でも、これからフランスにお出かけになる方にはお役に立つ情報があるかも。フランスの大地と香りとお酒が満載の集団道中記
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-神岡鉱山によるカドミウム汚染は深刻な健康被害「イタイイタイ病」をもたらす。公害裁判として争われ、富山地裁で被害者原告の全面勝訴となったのは1971年、いまから50年前であった(翌72年の名古屋高裁金沢支部控訴審で判決確定)。そしてその後、再汚染防止の発生源対策と汚染された農地土壌の復元が課題となる。著者は大学院学生時代から神岡鉱山への立入調査に参加し、その発生源対策のすべてに関わってきた。本書はその集大成であり、データ・図版・写真・年表等を整備したもっとも信頼できる報告書である。本書刊行の意義について、大阪市立大学名誉教授・宮本憲一氏はこう述べている(本書推薦文)。 「この本は被害者を救済するにとどまらず、公害を絶滅するために企業と苦闘し、住民・研究者を組織して汚染地域の環境再生を成し遂げた科学者の歴史的記録である。世界を驚かせた深刻な四大公害事件の中で、被害者の救済にとどまらずに、半世紀にわたって企業と交渉して、毎年汚染源を調査し、公害対策を改善し、川を正常化し、農地復元までに至る先進的で完璧な公害対策を実現したのはイタイイタイ病事件だけであろう」「この業績をたたえ、日本公害史を飾る力作として推薦したい」。
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-「2021年3月11日、福島第一原発事故から10年目の日、福島の空は穏やかに晴れ渡り、いずれのテレビ局も、10年前の災害特集をセレモニーのごとく流していた。その前日、国連からは、10年前繰り返し流された「ただちに健康に影響はありません」に重なるように、「フクシマ原発事故と健康被害の因果関係はみられない」との声明が出された。その陰で、2018年7月14日、福島第一原発より65キロ離れた風下の里に住んでいたひとりの女性が、きっちり7年後に急性骨髄性白血病を発症、4カ月の闘病の後に死亡していた」「東京で40年間看護師として働き、故郷に戻ってきた彼女は、この地を心ひそかに「風の里」と称し、その日常を日記にしたためた。……この書は、一人の被災当事者の目に映った、「ありのままの記録」である」(「はじめに」より)。 著者は、東日本大震災前夜から2018年まで綴られた日記の叙述をたどりつつ、亡くなった彼女の思いに耳を澄ます。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 女性のさまざまな人生を応援する雑誌
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4.0
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3.0大手石油会社で、ハイオク・ガソリンの開発にとりくんだ著者が、「21世紀の環境問題のカギを握るのは女性である」との信念から、幼少教育に決定的役割を果たす、「母親予備軍」たちへの教育に情熱をそそいだ「夢追い」体験記。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 筆者は、長年にわたって授業で動物の体(からだ)の観察を行ってきた。生徒に好評だったものは、月刊『理科教室』に投稿してきた。掲載された論文が、12 本になったので、1冊の本にまとめた。 生物の授業で、本物の動物(家畜の臓器やメダカなど)を使った体(からだ)の観察を行っています。生徒は、『体(からだ)の精巧さや機能性』『体(からだ)の働きで支えられる生命』に気づき感動するとともに、『体(からだ)が進化の産物であること』を理解します。普段は、意識しない体(からだ)を意識すると、『生命の不思議やすばらしさ』を実感することができます。
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-キヤノンに入社して40年、幅広い経験を重ねたベテランが新社会人に向けて語るアドバイス。7日間の連続講義で42のテーマをとりあげる。豊富なエピソードに彩られ、なるほど、そうか!とナットクの話題が満載。 「20代のあなたからすると、60代のわたしは親より年上だったりしますから、心理的な距離を感じるかもしれません。でも、会社という組織は多世代で構成されていて、年齢差を超えてベテランと中堅と若手が協同するところに良さがあります。ですからわたしは、後輩であるあなたにとても親近感を覚えながら、こんなこともあんなことも伝えたいという気持ちで、週末にキーボードをたたきました」(「はじめに」より)
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-2008年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は、飾らぬ人柄で、受賞後のマスコミでの発言もユニークであった。本書は、日本の科学研究の発展に長らく苦楽を共にしてきた仲間との座談などを通して、人柄と業績を平易に紹介している。そこでは、所属大学の教職員組合の書記長を務めた知られざる経歴や平和への強い思いなども語られている。
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-57歳のとき、医師から「末期がん」「余命半年以内」と宣告された著者が、通院自宅療養を選び、食事療法を中心とした自己免疫による自然治癒力で、3年経過に「完治した状態」にした克明な記録。