哲学・宗教・心理 - 電波社作品一覧

  • 柔訳 釈尊の教え 第1巻
    -
    はじめに より 昨年(二〇一七年)までに、原始仏典『ダンマパダ』を私なりに柔訳させていただきました(『柔訳 釈尊の言葉』全三巻 弊社刊)。 さらに、もう一つの最古の原始仏典とされます『スッタニパータ』を柔訳してご紹介したいと思います。 どちらの仏典も、釈尊の死後から百年以上も経過してから文字に残すことが始められました。それまでは、弟子間の口伝(くでん)だったのです。 だから古い仏典は必ず、「如是我聞」(にょぜがもん:私はこのように聞きました)から始まります。この「私は聞きました」とは、大半が釈尊の側にいつもいた十大弟子の一人である阿難(あなん)の言葉を指します。 つまりすべての仏典は、「阿難の言葉だった」とも言えるわけです。 釈尊と阿難の出会いは、釈尊が世間ではまだ無名の時代のことでした。 小川のほとりで、まだ幼児だった阿難が裸で村の子どもたちと遊んでいた時に、遠方から訪れた釈尊が村に入る前に沐浴(もくよく)をしようと水辺に来られました。 阿難は、その見ず知らずの若い男性が非常に背が高いことに驚き、また全身がかすかに発光していることに子どもながらに惹(ひ)かれました。男性の顔には微笑みが絶えずありましたので、怖い人ではないと思った幼い阿難は「遊んで! 遊んで! 」と飛び付いて、その服を掴んで離さなかったのです。 釈尊は困ったと思いながら、服を幼児に掴ませたまま村へと入って行きました。村で働く人々に「心の生き方・活かし方」を話し終えた釈尊は、いざ村を離れようとしましたが、服を掴んだままの裸の幼児がどうしても離れてくれません。 もう村を出るから離れるように言いましても、幼児は付いて行くと言い聞きませんでした。村人に幼児の親のことを聞きますと、村に住みつく孤児だということでした。 これは困ったと思った時、釈尊は幼児の瞳に子どもの時に出会った家庭教師の先生の面影を見つけました! ! その時、釈尊の心は懐かしさを感じ、激しく動揺したのでした。 それから釈尊はある決意をして、幼児をそのまま連れて行くことを村人に請いました。村人は、どうぞどうぞご自由にということでした。 これが釈尊と阿難の最初の出会いです。 釈尊御自身の少年時代に多くを学んだ宮廷の家庭教師だった男性との師弟関係が、ちょうど逆になったような関係でした。その家庭教師こそは、母国を離れて放浪してきた伝説の存在である「老子」だったのです……。 以上の話は、私の脳内に浮かぶ夢物語です。これから、私なりの「如是我聞」である柔訳を書き残していきたいと思います。 これは、長丁場になりそうです。『ダンマパダ』の三倍はあろうかというボリュームです。 皆様に楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 伊勢白山道
  • 柔訳 釈尊の言葉 第1巻
    -
    谷川太一氏、電波社より いよいよ待望の最新刊! なぜ、「仏教」では、 だれも悟れないのでしょう? じつは釈尊の真意を 「逆向き」に信じていたためです。 本書は、釈尊の原始仏典『ダンマパダ』を著者なりの独自な解釈で現代の日本語に置き換えたもの。日常生活で一人でも多くの困っている人々を、何とか良き方向に導きたいという釈尊の言葉は、現代社会でも十分に通じる教訓と示唆と愛情に満ち満ちています。 現在、真の仏教のエッセンスや老子を現代社会からの視点で表現し、その思想と叡智を現代人の生活に実際に生かすことに取り組んでいる著者・谷川太一氏、渾身のシリーズ第1巻です。 第一章 執着を捨てれば人生は変わります 第二章 悟りとは「自分の正体を見抜くこと」です 第三章 釈尊の真意を「逆向き」に信じるな! 第四章 ほんとうの安心感が訪れて来ます! 第五章 自分自身を育てる意識を持ちましょう! 第六章 素直に真理の話が聞ける人は大丈夫です! 第七章 社会の中の生活こそが最高の修行です! 第八章 明るく自分に打ち勝ちましょう! 第九章 善悪の帳尻合わせは完璧です! 第十章 キーワードは「常識」と「道徳」です! 第十一章 学ぶ気持ちがない人ほど、老けます

最近チェックした本