学術・語学 - 岡野憲一郎作品一覧

  • 精神科医が教える 忘れる技術
    3.0
    PTSDを引き起こす外傷記憶、恨みや罪悪感、うつ病や強迫神経症、依存や中毒など、あなたの心をいつまでも蝕む、思い出すのもつらい過去や苦しい症状、頭にこびりついた記憶や心をかき乱す感情――こうした「忘れられないこと」を上手に「忘れる」ための具体的な方法をベテラン精神科医が説く。人が遭遇するさまざまな「忘れられない」ケースを紹介するほか、「忘れることができない」メカニズムを脳と心の両面から解き明かす。
  • 新しい精神分析理論 : 米国における最近の動向と「提供モデル」
    -
    本書は,著者岡野憲一郎氏の研究成果を世に問う第三作である。第一作『外傷性精神障害』が啓蒙的,第二作『恥と自己愛の精神分析』が内省的とでもいえば,この第三作は,よい意味で野心的,それだけにまた論争的でもある。「『分析の隠れ身』から『自己を用いること』へ」「禁欲モデルから提供モデルへ」の各章に提起されている新しい治療論は,当然,岡野君自身の臨床経験,そしてまた彼自身が受けた訓練分析体験にその基礎を置いているのだが,しかもそれが彼個人の体験にとどまることなく,現代の米国における新しい動向によって自己表現と経験の裏付けを受けている点にこの本の魅力がある。三つの流れが,岡野君という主体の中で新しいものを生み出す。そういう心的なプロセスが精神分析そのものだと私は考えているのだが,本書はこの精神分析らしい主体的な条件を見事に備えている。  本書はまさに新しい精神分析の治療論,そして技法論として,わが国の精神分析・精神療法の領域の読者にお読みいただくことを心から期待しています。さらに岡野君の第四作がどんな展開を遂げるか,いまから楽しみにしています。小此木啓吾(「序文」より抜粋)

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  • 新外傷性精神障害 : トラウマ理論を越えて
    5.0
    1巻3,080円 (税込)
    定評の高い旧版に,DSM-III以来変化し続けた外傷理論の軌跡や今後の行方を示す論考を新たに加え,新たなパラダイムを提起する。 第3部第7章より抜粋■過去20年余りの間に生じた外傷の概念の変化は,外傷は人が不運にも遭遇し,必然的に外傷性精神障害を発症するようなものであるという理解から,実は多くの人に日常的に起きている可能性があるものという認識への推移であった。外傷とは,それに出会った人の脆弱性やその他の偶発的な要素により外傷性精神障害を招くに至ったものとして捉えなおすことができるのである。 このような理解の推移は,外傷概念の拡大や拡散であり,それが同時に曖昧なものになったとも言うことができる。外傷は人生のなかでさほど特異な出来事ではなくなり,PTSD等の外傷性精神障害には,そこに患者の側の脆弱性が関与した,いわば内因性の疾患としての性質を読み取ることも可能となったのである。さてここにレジリエンスの概念が登場する。ある程度深刻なストレスは,それに対する脆弱性を有する人にとっては外傷となる。それではその深刻なストレスをいわば解毒し,場合によっては糧にして成長する能力を有する人,つまりレジリエンスを備えた人にとっては,そのストレスはどのような意味を持つのであろうか? ところで私はこのレジリエンスの概念は,ある意味では外傷理論のかなたにあるものを指し示していると考えている。「誰がストレスに際して外傷性の反応を示し,誰がそうでないか」という問題を,より立体的に捉えなおすことをレジリエンスは可能にするのである。これまでの外傷理論は,人がいかに外傷性のストレスにより精神障害をきたすのかを明らかにすることに貢献してきた。しかしレジリエンスの概念が提起するのは,一般的に人はストレスに際して外傷性の反応をいかに起こさずにすむかという問題である。深刻な外傷性のストレスにさらされた場合にPTSDを発症する人々の割合は,14%程度と報告される。すなわち発症しない人の割合のほうが圧倒的に高いことになり,それを可能にするレジリエンスのおかげで私たちは健康を維持することができているのである。(岡野憲一郎)

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  • 中立性と現実 : 新しい精神分析理論〈2〉
    -
    本書は,前著『新しい精神分析理論』に続く『中立性と現実―新しい精神分析理論2』である。そのために,前著と同じように,「これらの米国の新しい精神分析の理論に自己表現の言葉を見出している」のが本書とうっかりみなしてしまうおそれがある。 本書で岡野氏が一番語りたいのは,「その態度が……本来はそれ(精神分析)とは別のどこかに関係するものだ」ということで,この別のどこかはきわめて個別的な岡野憲一郎という「私自身の態度」であって,この「私自身」の「態度」が肯定し,受け入れることのできる精神分析をつくり上げることが私の目標なのです」。これは精神分析家としての大変な「岡野憲一郎宣言」である。なぜならば,この宣言は,岡野氏がフロイトと同等の一個の精神分析の主体になることの希求ないし自覚を意味するからだ。フロイトの技法論文をよく読めば―常に私が主張してきたように―フロイトにとってこの岡野氏の言うことがどんなによく当てはまるか。私の言うフロイト的治療態度は,患者との間で創造された,フロイトという彼自身の資質,教養,思想,文化にとって最も彼らしい「態度」だったのだ。そして岡野君も同じような意味での「態度」について語りたいと言っているのだ,と私は思う。 小此木啓吾(「序文」より抜粋)

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  • 治療的柔構造 : 心理療法の諸理論と実践との架け橋
    -
    外的条件が変わっても全体の形を保つような治療構造とは。 患者と治療者のニーズに応える標準的な治療法の提案。 第5章より抜粋■なぜ「標準」としての「治療的柔構造に基づく治療法」を考えることが必要なのかについて、以下に三つの理由をあげておきましょう。 一つには、各学派が依然として異なるドグマを持ち、それが心理療法についてこれから学ぼうとする人たちを混乱させているという事実があります。ある事柄についての一般的な理解を得たいのに、すでに特定のイデオロギーに染まった情報を与えられることになるからです。最初に心理療法とは一般的にどういうものかを、学派を超えて学ぶ機会を持つことは非常に重要なのです。 第二の理由は、患者は学派により治療者を選んできているわけではないということです。これはおそらくもっとも重要な問題です。そもそも患者さんは症状に悩んで治療者のもとを訪れるのであり、「~学派」の治療を受けるためにやって来ているわけではありません。多くの場合患者さんは特定の治療法との「相性(マッチング)」を持っています。精神分析的なやり方が性に合っている人もいれば、非常に具体的な行動療法的アプローチに向いている人もいるでしょう。そして治療者は、「この患者さんにはどのようなアプローチが一番合いそうだろうか?」と考え、検討するという役割を常に担っています。 第三の理由は、まだ経験の浅い治療者にとっては、治療理論や治療構造についての何らかの準拠枠の提示が必要だからです。「治療的柔構造に基づく治療法」は、ある種の雛形を提供する意味もあります。この療法の最大の眼目は、さまざまな原則を相対的に応用することですが、そのためには多くの人によって受け入れられるような基準、料理で言えば基本的な味付けがある程度できていなくてはならないのです。 柔構造による治療は多くの「いいかげんさ」、あいまいさ、恣意性を含みますが、そこに原則がないというわけではありません。むしろかなり熟慮された原則がいくつか必要となります。それがあってこその「良い加減さ」なのです。五重塔などの建築物は、そこに「心柱」という構造があることで地震などによる倒壊を防いでいるとされます。塔の各層は風や地震にさらされた際に大きく揺れ動きますが、心柱は常に全体のバランスをとって倒壊を防いでいます。そして治療の外的条件が変わっても治療構造の全体が形を保つのは、「柔軟性を重んじた治療原則」がちょうど塔の心柱のような役割を果たすからです。

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  • 自己愛的(ナル)な人たち
    5.0
    「自分はイケてる、カッコいい」という気持ちに浸って満足する自己愛(ナル)人間。人に認められたいという願望が肥大して暴走を始めると病的な自己愛になり、周りは振り回される。婚活詐欺殺人の木嶋佳苗、クリントン元米大統領、金正恩朝鮮労働党委員長、三島由紀夫らの自己愛を探り、サイコパス、アスペルガー、いじめなどとの関係を解き、医師、美人、母親の自己愛も考察。自らが病的な自己愛人間にならないためにもおすすめの本。
  • 脳科学と心の臨床 : 心理療法家・カウンセラーのために
    -
    左脳と右脳や記憶の仕組みなど,心理療法の訓練や実践をしている人たちのために,実践の支えとなるような脳科学の知識を解説。 まえがきより抜粋● 本書は私が過去3年間ほどの間にいくつかの刊行物に書きつづった原稿に大幅な加筆修正を施してまとめたものです。テーマは脳科学についてですが,読んでいただく対象としては心理療法の訓練ないしは実践をなさっている方たちを想定しています。それはここに書かれた内容の大半が,私自身が心理療法を実践する上でその支えとなるような知識として蓄えたものだからです。私は精神科医ですが脳科学の専門家ではありませんし,脳について詳細な知識を得るだけの時間的な余裕も力もありません。ただし脳について必要に応じて得てきた知識が精神科医としての薬物療法のみならず,心理療法を行う上でもさまざまな意味で助けとなりうることを,日常の臨床を通じて感じています。これまで疑問に思っていたことが,脳についての最新の情報により説明されることは,ある種の興奮や感動を伴うことですらあります。そしてそのような体験をぜひ心理療法家の皆さんにも共有していただきたいと思ったのが,本書の執筆の動機です。  私が本書で最も訴えたいのは,心の臨床家は,患者さんへの共感能力を高めるために,ぜひとも患者さんの脳について知っておかなくてはならないということです。私たち人間の心は,脳という物質的基盤を持っています。それはさまざまに私たちの心を規制し,枠にはめようとします。そして場合によっては脳のほんの少しの変化や病変に翻弄され,それが精神科的な問題となって現れます。しかも不幸なことにたいていの場合,私たちは自分や患者さんたちの脳で起きたことが何かを知るすべがありません。そこで私たちは患者さんの示す精神科的な疾患について,さまざまな心理的な意味づけをしようとしますが,それは多くの場合,たくさんの誤解を生み出します。そしてもし患者さんを治療する立場にある心理療法家も患者さんの脳について無知であるとしたら,それらの誤解を助長することにもなりかねません。それは私たちがぜひとも避けたいことです。  本書は脳を扱っていても,その内容はあくまでも私たちが人の心を理解するためのものであるということをこの序文で強調しておきます。そして本書が心理療法家の皆さんが患者さんの心の世界の理解を深めるための一助となることを願っています。 岡野 憲一郎

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  • 恥と自己愛の精神分析 : 対人恐怖から差別論まで
    5.0
    精神分析における恥の議論とは,多くの関心の流れが交錯して次々と網目を作るところです。恥に関する議論は,恥の文化(辱めの文化)と言われる日本においてもともと盛んでした。ただし,その発生論は,恥に対して過剰反応する日本文化の外に出た方が民俗の神経症として見えやすいのでしょう。そこには臨床体験と異文化体験という出会いが欠かせないのです。本書で引用される臨床体験は米国のものですが,それでも著者が米国にいながら,日本の読者に向けて語ることができるのは,恥が,彼の議論を通して日本と米国が出会う場所であるからなのです。本書の中に入れば,誰もが目を奪われるのが,縦横無尽に広がる著者の守備範囲の広さです。理想自己と恥ずべき自己,自己と他者,恥と罪,過敏と無関心,積極性と受け身性……これらを縦糸と横糸に,議論を編み上げる機織りの大きな回転運動を続けるのです。おそらく巡り続ける意志もまた,恥に悩まされてしまうことのない解決を示すのだという主張も,その書き方に見て取れるのです。  岡野氏は世界を股にかける軌跡を描かれ,さまざまな出会いの中で「人にやさしい精神分析」という独特の境地を見つけられたようです。もちろんこの本は,岡野理論に出会うだけではなく,彼の思考運動の力を得て,恥をめぐる現代精神分析理論への程よい入門書にもなっています。彼にとっても,日本の臨床家にとっても,良い時期に,まとまった形で出版されることになったと思います。 北山修(「序文」より抜粋)

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  • もっと知りたい解離性障害 解離性同一性障害の心理療法
    5.0
    かつては「多重人格障害」と呼ばれた病は,誤解を招く用語であるとして現在の世界的な診断基準では診断名として「解離性同一性障害」(略称:DID)と呼ばれていますが,その性質からいまだに非常に多くの誤解を持たれがちであると言えるでしょう。本書は,解離性同一性障害の豊富な臨床経験をもつ著者らが,当事者やご家族のために,主人格や人格交代などの専門用語を使いながらも,事例を交え,時には脳のメカニズムにも触れながらわかりやすく解説しています。解離性障害の患者さんにこれから出会う方々や,これからどのように治療していこうかと思案されている治療者の方々にも役に立つでしょう。
  • わかりやすい「解離性障害」入門
    3.8
    交代人格(多重人格)、自分が誰だかわからなくなる健忘、現実感覚の喪失と自傷など、多彩な症状を呈する解離性障害は、近年急速に注目を集めている。本書は、数多くの事例をもとに、症状の現われ方からその理解の仕方、治療法までを幅広く解説する。解離をめぐるトピックスや最先端の治療スタイルについて紹介したコラムなど、幅広い視点から「解離性障害」にスポットを当てる。患者さんとそのご家族だけでなく、治療に関わるスタッフと専門家、すべての臨床家にも読んで欲しい一冊。

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