海上知明作品一覧

  • 戦略で読み解く日本合戦史
    4.0
    「関ヶ原合戦は西軍が勝ったはずだ」。かつて関ヶ原合戦の両軍の布陣を見たプロイセン王国・ドイツ帝国のクレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル大佐はこう述べたといわれる。戦略と勝敗とは、はたしてどのような関係にあるのか。日本において「完璧な合戦」は存在したのか。「撤退の意義」、「強兵と弱兵」の定義とは何か。本書は日本史の一次史料にとどまらず、『孫子』やクラウゼヴィッツの『戦争論』など古今東西の戦略論を参照。勝つための戦略を生む思考のプロセスを分析する。日本合戦史の教訓を新たな視点から導く、まったく前例のない書。 【本書に登場する主な合戦】「平治の乱」―完璧な合戦/「一ノ谷合戦」「屋島合戦」「桶狭間合戦」―迂回と奇襲/小田原城の攻防―籠城と攻城/「三増峠合戦」「川中島合戦」―『孫子』対『孫子』/「沖田畷合戦」「長篠合戦」「雑賀攻め」―新兵器への幻想/「賤ヶ岳合戦」「箱根竹下合戦」―内線と外線
  • 孫子の盲点 ~信玄はなぜ敗れたか?~
    4.0
    武田信玄はなぜ天下を取れなかったのか? 武田軍の農兵の比重の高さや組織の旧式性を声高に指摘する識者は多い。 また、信玄の根拠地、甲斐の国は都からも遠く、当時は貧国であったということは事実である。 だが、信玄の天下取りがかなわなかった真相は別にある。 信玄を語る上で欠かせぬ、世界最古の兵法書『孫子』。 その教義の限界が、信玄の天下人への道を大きく阻んでいたとしたら…。 宿敵上杉謙信との川中島の激闘、徳川家康を一蹴した三方ヶ原、対信長政策をはじめ、 旧来の歴史観がつくり上げた歴史の常識を打ち破る渾身の意欲作!!
  • 地政学で読み解く日本合戦史
    3.0
    1巻1,100円 (税込)
    シーパワーやランドパワー、ハートランド、勢力均衡。地形や地理の影響から国際政治を考える地政学の視点は、日本国内の歴史をみる際にも有効である。ただしその際、見落としがちな点がある。それぞれの「国」の地政学的位置は不変であるが、勢力均衡の重要地点はたえず変化することだ。何の変哲もない田舎、人家もないような原野や山岳が、突如として歴史を変える場所になる。川中島や関ヶ原が重要な地点であるとは、平和な時代には想像もつかない。だが、そうした場所には大規模な合戦が行われた理由が必ずあるのだ。古戦史研究の第一人者が、新たな視座から歴史の転換点を分析する。 ●序章 「応仁の乱」と「関ヶ原合戦」――戦略の有無が分けた天下分け目 ●第一章 日本各地域の地政学的な戦い方 ●第二章 地政学的要地はどのように決まるのか ●第三章 合戦と要衝 ●第四章 天下を決める政治力学と社会構造
  • 本当は誤解だらけの戦国合戦史 信長・秀吉・家康は凡将だった
    4.0
    1巻1,782円 (税込)
    織田信長は天才的な革命家、しかし…… 豊臣秀吉は城攻めの達人、しかし…… 徳川家康は謀略の達人、しかし…… 信長・秀吉・家康は戦下手だったのに、なぜ天下をとれたのか? ―― これまでの定説をひっくりかえす驚天動地の論考! 私が兵農分離優位仮説を批判しだした時、世を挙げて兵農分離優位仮説に覆われていて、 甚だしくは「自分が調べてみた結果、武田信玄は農繁期には合戦をしていない」などという、 どこを探しても「史実」ではないことが堂々と言われていました。 歴史学者という人達の中には厳密さを重んじるような顔をしながらも、分からないことには超適当、 人の批判は厳しくしても自分には甘いという人が多数存在しているように見受けられます。 そうした悪しき歴史「研究」の定式と流れから離れて、戦略の視点から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を見ていくとどうなるでしょうか。 そんな思いから書いてみたのが本書です。 (「まえがき」より) 【本書の目次紹介】 序 章 戦国の七英雄を戦略で比較する 第一章 桶狭間合戦は、どちらを向いても謬説だらけ 第二章 美濃攻略と上洛戦に見る信長の短所と長所――信長が東海地方に向かわなかった理由 第三章 謎だらけの姉川合戦――なぜ特筆されるのか? 第四章 石山本願寺との死闘――弱すぎる信長 第五章 長篠合戦の幻想 第六章 手取川合戦で格の違いを見せつけられる 第七章 秀吉の軍事的天才が顕著な三つの分野「大返し」「城攻め」「大軍の運用」 第八章 源義経を誤用した小牧・長久手合戦 第九章 秀吉の限界――海軍戦略の無知が唐入り(朝鮮出兵)を失敗させた 第十章 城攻めだけでなく野戦も下手だった家康 第十一章 関ヶ原合戦の頼みの綱は謀略 第十二章 大坂の陣でも頼みの綱は謀略 終 章 信長・秀吉・家康の本当の実力
  • 「義経」愚将論 源平合戦に見る失敗の本質
    5.0
    1巻1,782円 (税込)
    義経は名将どころか、凡将ですらない愚将だった。 あまたの通説をひっくりかえす驚愕の論考! 日本でもっとも人気のある武将の一人が源義経だろう。 その人気とともに不動なのは義経が「名将」であるという軍事的才能の評価である。 故司馬遼太郎氏をはじめとして、義経を「不世出の天才」と位置づける人は多い。 しかし、そうした評価はきちんとした戦史の分析に基づくものだったのだろうか。 実はこれまでの「義経名将論」のほとんどは、義経が参加した戦いが源氏の勝利に終わっていることから「見事な作戦」を立てたと言っている結果論にすぎない。 結果的に勝利した戦い方を称賛することは誰でもできる。それを名作戦とこじつけることはたやすい。 しかし結果論にとらわれずに、中国の古典兵法書『孫子』や、義経が読んだとされる『六韜』をはじめとする古今東西の戦略書をもとに分析するとどうだろう。 「一ノ谷合戦」「屋島合戦」「壇ノ浦合戦」を中心にして、様々な角度から義経の作戦を分析すると、あまりにも稚拙な戦術と戦略的思考の欠如という実態が浮かび上がってくる。 さらに、義経の戦いを名作戦とすることで、日本の軍事常識が大きくゆがめられてきたこともわかってくる。 兄・頼朝との確執の実態や奥州平泉の藤原氏との関係も含め、これまでの源平合戦の歴史を塗り替える画期的な論考。

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