【感想・ネタバレ】母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのかのレビュー

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Posted by ブクログ 2018年12月22日

目次
序章 なぜ「母殺し」は難しいのか
第1章 母と娘は戦っている
第2章 母の呪縛の正体をさぐる
第3章 女性ゆえの困難について
第4章 身体の共有から意識の共有へ
終章 関係性の回復のために
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<なぜ「母殺し」は難しい...続きを読むのか>
 母と娘の関係は、家庭内に置いて特殊である。
 同性であるために、心理的に距離が近くなること、そして、母親の支配が、父親の様なわかりやすい形ではなく、相手の同情と共感を逆手に取った、分かりにくい形をとることにも関係ある。
 具体的には、「あなたのためを思って」との大義名分で、自分の幻想に基づいた一方的な奉仕を行い、それを拒むと逆切れしたり、自分が被害者となって、相手に罪悪感を植え付けるといったやりかたをとる(もちろん、悪気はない)。
 さらには身体的な同調を基礎に支配が行われるので、支配から逃れにくい。

<母子密着と発達過程>
 子どもが発達していく過程で、母親に「よいおっぱい(自分が求めた時に与えてくれる)」と「悪いおっぱい(前者の逆)」という分裂したものを投影する。一方で、自分が怒っているのに「相手が怒っている」と自身の態度を相手に転嫁するものが多い。
 成長するとそれらはそれなりに投影されていくが、母子密着した過程ではこのような子どもかえりが起こりやすい。
 問題のある過程ではおおむね母子密着が起こっている。
 母子密着は娘でも息子でも起こりやすいが現代においておこりやすい「近親相姦」は母と娘である。 

<近親相姦>
 エリアチェフが提唱した近親相姦は3種類あり、
1・プラトニックなもの
2・父娘、母息子という異性の近親者同士
3・母と娘(父と息子)が同一の恋人を持つ
 である。
 この中で、抑圧と禁止を免れ得るのは1のみであり、まさにこれが母と娘の間に起こっていることである。

<母性と、マゾヒステッィクコントロール>
 日本では長らく、「母は滅私奉公して子どもにつかえるものだ」という献身、受動性、そしてマゾヒズムに彩られた母性神話が語られてきたが、これは幻想である。だが、これが押し付ける役割が「母親」にプレッシャーと葛藤を与え、「子どもはコントロールすべきもの」というコントロール幻想を生む。
 引きこもりの子供を持つ母親は、連日殴られながらもその幻想を体現している。
 そこから離れるには母親も「自身の人生」をいきることではある。
 また父親など「第三者」の介入も重要であるが、往々にして男性は家庭内の問題からは逃げている。

 では、いったい母親は何を自身の価値観としているのか?
 母親は自身の価値観に沿って子どもを育てるが、それは往々にして世間の目を気にする「世間教」となりやすい。そこでは「条件付きの承認(○○をすれば愛してあげる、という行為)」が跋扈し、ダブルバインドが往々にして見られる。
 ダブルバインドとは、口では「結婚しなさい」といいながら、実際はまめまめしく世話を焼く、といった行為である。
 世間に阿った、自己犠牲的な奉仕は罪悪感を娘に受け付け、非常に強力な楔となりうる。これを「マゾヒステック・コントロール」とよぶ。
 息子も同様だが、男性は女性に比べ共感が鈍いので、若干軛が弱い傾向にある。

<ジェンダーと疾患>
 男性と女性のジェンダーは厳然としてあり、それらは違った様相で現れる。
 男性は社会的な同一性(能力を表し、有用性を表明する)を重視し、多くの女を所有する立派なペニスであれ、というプレッシャーを受け続ける。
 一方女性は、他者に不快感を与えないしぐさや美しい容貌を重視する。

<母親の期待と支配、女性の空虚さ>
P189
 女性性とはすなわち身体性のことであり、女性らしさは主として外見的な身体性への配慮です。それゆえ女の子へのしつけは、男の子の場合と異なり、他人に気に入られるような身体の獲得を目指してなされます。このため母親による娘のしつけは、ほとんど無意識的に娘の身体を支配することを通じてなされがちです。
身体的な同一化による支配において、母親は時に、娘に自分の人生の生き直しすら期待します。こうした支配は、高圧的な命令によってでなく、表向きは献身的なまでの善意にもとづいてなされるため、支配に反抗する娘たちに罪悪感をもたらします。
しかし、母親による支配が素直に受け入れれば、自分の欲望放棄して他者の欲望をひきつける存在という「女性らしさ」の分裂を引き受けなければなりません。それゆえ母親による支配は、それに抵抗しても従っても、女性に特有の「空虚さ」の感覚をもたらさずにはおかないのです

<ジェンダーとBL> 
 BL第一人者のよしながふみは以下のようにかかる。BLはジェンダーやフェミニスト運動と相性が良い。

P105
 彼女は「ボーイズラブ」は「もてない女の慰め」であるかもしれない、ともいいます。なぜならこのジャンルは「今の男女のあり方に無意識的でも居心地の悪さを感じている人が読むものである」ためで、ただその居心地の悪さには、男女差があると彼女は指摘します。

P106
男の人のです抑圧ポイントは一つなんですよ。「一人前になりなさい、女の人を養って家族を養っていけるちゃんとした立派な男の人になりなさい」っていう。だから男の人たちて皆で固まって共闘できるんです。女の人が一つになれないって言うのは、一人一人がつらい部分がバラバラで違うんでお互い共感できないところがあると思います。生物学的な差では絶対にない。これは差別されている側は皆一緒ですよね。アメリカにおいて、全部合わせれば白人より多いはずのマイノリティーが文化が違うから一緒になれないのと同じです。

 社会がジェンダーに基づいた圧迫を行うため、男性と女性では発症する疾患の差異がある。
 そのなかで、男性はひきこもりが多く、女性は拒食症が多い。
 男性のひきこもりは先に述べた社会的プレッシャーからの逃避である。一方の拒食症は何か。著者はそれを「女性性」からの逃避とみる。 
 拒食症患者の徹底的にダイエットを目指す体は、ふくよかさなどの「女性性」を拒否した形と解釈できる。
 男性は異性との関係を夢見る「恋愛教」を断ち切るのは難しいが、女性はそうでもない。「恋愛教」にはまる人数も多いがそこから決別することが男性よりは比較的容易で徹底したものになりやすい。

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Posted by ブクログ 2012年06月23日

 読んだ後に率直に感じた感想は「重い」であった。またこのような母娘関係がどのような家庭にもレベルは違うにせよ存在すること、決して他人ごとでないこと、そしてこれらの問題の根深は深いこと、これらにため息をついた。またこの本が述べていることはあくまでも様々な情報から判断した著者の主観であり、一般論の断片で...続きを読むあること。この本に書かれていることが絶対ではないことを忘れてはいけないと、自戒した。今回の本は母親と娘の関係性のバランスの難しさについて書かれていた。この本のメッセージは明確であり、首尾一貫している。それは「母親殺しは不可能であり、娘と母の関係は一生続く」というものだ
 まず書かれていたのは、母親と娘が戦っている事例について書かれていた。なぜ母親と娘は戦うのか。それは、母親が自身の母親に十分な愛を注がれていなかったためや、夫の圧力から逃れるためなど、様々な理由があるにせよ、母親が娘を支配しようとするため、だという。それに対し、目に見える形で、もしくは静かな形で、娘は母親に反発する。
 このように母親が娘を支配しようとする構造がなぜ生まれるのか。この呪縛の招待は何なのか。ここでまず印象に残ったのはインナーマザーについての記述である。簡単に言えば親が「世間体」に対しひれ伏し、世間に従うよう親が子供をしつけることを言う。両親が世間体を気にしながら子供を教育するため、子供はそれに気づき、親に気を使いながら自分の行動を制限する。ここでは、世間は子供を教育するための「材料」ではなく、「教祖様」のような存在になっているので、子供をしつけるという名目で親が子供を支配するという。このような「条件付の愛(or 条件付の承認+無条件の愛)」を親が子供に与えるとき、特に母娘関係は他の親子関係とは特異な性質を帯びるという。これは母親と娘が同性であることから生じる。母親は娘に自身の考えを共有し、感情を共感させようとする。娘は母親哀れに思ったり、日ごろ母親に尽くしてもらっている感謝や罪悪感から母親に寄り添おうとする。そのような中で母親と娘の密着が進んでいく。
 このような条件付の愛の中、娘は母親のダブルバインドによって板ばさみ状態になる。ダブルバインドとは口で発しているメッセージと、母親が行動で示すメタなメッセージの間に矛盾が生じることである。たとえば口では「もーあなたしっかりしなさいよ!」と娘に対してきちんと生活することを促しておきながら、娘の身辺を母親が整理し、結局「自立しなくていいのよ」とメタなメッセージを娘に送る。結局娘は自立できないという。このようなダブルバインドの中、娘と母の密着は進んでいく。
 結局日本の母娘関係において、母親は娘に母性的に奉仕し、娘に「申し訳ない」と感じさせるこによって娘を支配する、という。また上に述べたように娘にとって母親という存在は身体の中に浸透し、母親を否定することは自分自身を否定することに繋がるため、いわゆる「父殺し」ならぬ「母殺し」することはできない。では、女性の自立とは?心理学者の高石浩一氏は次のように述べている。「女性の「自立」とは、ひょっとすると決して「克服」しきらない、「殺し」きらないで共生し共存するような、剣が峰を綱渡りするような、ものすごく微妙なバランスを獲得していくことなのかもしれない」と述べていた。これに強く、共感した。
 次に書かれていたのが女性の「女性性」に関してだ。母親は自身の娘を育てるときに「立派な娘になるよう」育てる。この「立派な娘」というのは「すばらしい女性性をもった娘」という風に置き換えることができる。では「女性性」とは何か、ということについて書かれていた。一言で言えば、「女性性=身体性」である。どういうことか。つまりある女性の「女性性」とはその女性の「身体性」を指すことが多い、ということだ。女性が自分が女性であることに対して肯定したり、逆に嫌悪したりするとき、その対象は女性自身の身体に向きやすい。「髪の毛が整っていない」や「肌が荒れている」ことに対して女性がことのほか男性より敏感なのが良い例である。これとは逆に男性は自身の能力や性格、社会的な地位などの「象徴的なもの」に肯定感や嫌悪感を抱くという。
 この女性の身体性を説明するのに、女児のエディプスコンプレックスという概念が本文中登場する。女児のエディプスコンプレックスとは、自身にペニスがついていないことから自分をこういう身体に生んだ母親を恨み、また女性という身体に対して嫌悪感を抱くことをいう。通常なら、結果的にそれが出産願望に繋がっていく。
 女性に多い"拒食症"などはこの女性の身体(女性性)への嫌悪感からヘテロセクシズムを捨て、ユニセックスな存在への願望からきているという。また加えて一部の女性がboys loveの同人誌を好むことも、このような女性の身体への嫌悪からきているという。つまり女性が自身の女性性に嫌悪感を抱くとき、攻撃の対象が身体になっているのである。母親は娘を育てるとき、娘の女性性を育てようとするので、結局母親の躾という大義名分で行う支配的な教育は、娘の身体性に絡んでくる。このことが、母親の娘の支配に大きく問題となる。
 どういうことかというと、例えば息子に母親が教育をする場合、「男性としてのあり方」というのは象徴的な概念として親に認知されている。「男の子なんだから我慢しなさい!」や「男に二言はない」などがその例だ。よって男の子を育てる際、親の主観はもちろん入るが、それ以上に通念的な「男性像」みたいなものが存在し、それを意識しながら親は息子を育てることになるという。それに対し女性は「女性は~~であるべき」というような概念はあまり多くない。「おしとやかであるべき」や「人に対して優しくあるべき」など、男性像の否定のような概念は存在するが、それよりも「綺麗な髪」や「綺麗な洋服」、「綺麗な言葉遣い」、「身なりやしぐさ」など、女性らしさとは、上でも述べたとおり「身体」に関わる。よって娘が女性性を獲得するには、母親からの身体性の伝達が必要になる。これは結果的に母親が娘の身体性(所作・行為)を支配することに繋がる。つまり「ああしなさい」、「こうしなさい」が多くなるということである。母が娘を女性として教育するとき、その内容は身体性に関わる。よって母親の支配は娘に対して結果的に強くなってしまうという。
 こういった支配構造を母親側の視点から見るとどう見えるか。背景には、母親が子供を持つことによって感じる無限の責任性が存在する。そして子供が娘であれば、その身体の共通性から、母親は娘へ過剰な期待をもつことになる。過剰な期待、男の子に対する「社会的な地位を獲得せよ」という要請のようにシンプルではない。それは「自分の人生を生きなおして欲しい」という要請である。
 先ほどのエディプスコンプレックスでも述べたが、母親は娘を産んだ際、子供を女性の身体に生んでしまったことによる無限の責任を負うという。それに加え、「子育ては母親の責任」というような風潮が社会にはある。この責任感から、一般的に母親は娘に対して積極的に子育てを行う。上でも述べたように女性性を育てようとする際、母親は無意識のうちに娘の身体をコントロールするようになる。この娘をコントロールする過程で娘への罪悪感が期待感に変わるという。その期待の中身とは、基本的には人によると思うが、この本が言うには、「自分の人生の生き直して欲しい」という期待である。母親は娘の身体に関わりすぎるあまり、母親と娘の間で身体が共有されてしまう。それによって母親は娘を通して新しい人生を歩んでいるような感覚を持つという。そして娘は、母親に対する感謝という名の罪悪感と、娘の中に存在する母親という存在から、この期待を裏切れない。
 以上のような理由から娘は母親殺しをすることができないという。イメージ的に言えば母親の言葉が娘にインストールされている形である。こういった状況を抜け出すには、どうしたらいいのか。基本的には、娘、母親の両方もしくは片方が状況を俯瞰すること大事である。そのために第三者が関わったり、こういった本を読んだり、母と娘の物理的な距離を広げたりすることが有効であるという。しかしこれらが必ずしも効くとは限らない。
 母娘関係の難しさを痛感した、一冊だった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2014年04月09日

読んでいる時はgkbrのしどおしでした。

色々な作品(小説、漫画など)の中の母と娘について書かれているので、理解しやすいです。

結局は世代間の連鎖なんですねぇ。
(と軽くまとめてみましたw

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

 
母による意識的無意識的な娘に対する支配を、精神分析の手法によって明らかにした本。
何気に、初斎藤環。

本当に読んでよかったと思った。
ここ数年、社会科学に傾倒していたのは自分の内面から逃げていた部分もあったのかなぁと思った。

また、やっぱり自分は男性と同じように働くことは不可能なんだなぁ、と...続きを読む
今までなかなか放棄することのできなかった可能性から、やっと解かれた気がする。

最期に、女性として生まれてきたことを心の底から後悔した。
そして、これからはそういうことにきちんと向き合っていく必要性があることを痛感した。
 

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年03月04日

母に対して疑問が多かったし、本を開くタイトルにも共感できたので読んでみた

全母と全娘に読んで欲しい 一旦冷静に分析できるかもしれない

わたしの母は、母なりに気を付けてることがあるのかもしれないな、と思った

最後の方で「モビルスーツに乗っているような感覚」について書かれていて、これは前々からわた...続きを読むしは感じていた感覚だったのでハッとした 女性は身体性を常に意識して生きているということで
わたしが女性だから感じている感覚だったのだろうか

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Posted by ブクログ 2017年10月25日

 男性とは異なる「母娘問題」特有の困難さを説明した本。

 母娘問題に悩んでいる当事者よりも、その周囲の人や支えている人が、母娘問題を理解する上で、参考になると思いました。様々な精神分析の理論が引用されており、そういった知識を得るためにも、参考になる本だと思います。

 精神分析の知識がまったくない...続きを読む状態で読みましたが、理解できたかは別として、読みやすかった気がします。妻とその母を見ていたため、納得できる部分が多く、一気に読んでしまいました。

 ただ、二度、三度読んでいるうちに、少しずつ理解が深まってきました。

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Posted by ブクログ 2016年05月12日

ちょうどディズニー「塔の上のラプンツェル」をみたタイミングで読めて良かった。
ラプンツェルの髪で母親が生きている、というのが、母娘の身体性の共有を表しているというのが明らか。
自己の投影…とか、母が娘を縛るやり口に関しては知られていても、縛らざるをえないことに関する精神分析からの論は初めて読んで、す...続きを読むこしスッキリした。

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Posted by ブクログ 2015年01月19日

暗示的にも明示的にも同一化を要求して断ちがたい結びつき・縛りを形成する母娘関係を「プラトニックな近親相姦」というのは一見過激に思えるが、きちんと読むといろいろと自分が見聞きした実態とも符合してふにおちる。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年07月16日

タイトルがすごく良い。
「母と娘」という関係性だからこそ生まれる諸々の呪縛を考えるにあたって、
「同性であること」「密着性」「自己投影」「女性性」
は、腑に落ちるポイントだった。
身体感覚からくる同一視、というのは少しピンとこなかったけれど、
隠微なコミュニケーション地獄という表現は好き。
女性のほ...続きを読むうがマゾヒスティック・コントロールに敏感である、という考えは『おおかみこどもの雨と雪』といった作品でも象徴的に描かれているのを思い出す(個人的には立場や性別によらない普遍的なものだとは思う)。

結局この手の問題は、娘の側がまず呪縛の幻想から抜け出す必要があるのだろうな。

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Posted by ブクログ 2013年05月21日

ちょっと小難しくて理解し切れず、わかったようなわからないような気持ちになるところもある。けれども数ページに一行でも、「あぁ…!わかるっ…!!」と線をグリグリ引きたくなるようなフレーズに、女性なら巡り合うんじゃないでしょうか。そしてそのポイントは人によって少しずつ違うかもしれない。このレビューは私の実...続きを読むの母も義理の母もきっと読んでいるので、私の場合具体的にどんなフレーズが、っていうのは敢えて書かないことにしますが(笑)
著者が男性なわけですが、私が読んで納得できない箇所は、精神分析用語が難しいせいなのか、そこで示される母娘の例が自分にマッチしないせいなのか(臨床心理の現場から書かれているので病理的な例も多い)、果たして著者が男性で「わかってない」からなのか、それはわからない。わかったように書くなよーという気持ちは拭えないが、でもこれが女性が書いたものである場合、それはそれで、どこまで客観的になれているのか疑わしくなってしまう気がするし。
終章にまとめがあるので、本編で理論についていけなくて消化不良になっていても最後の章だけまた読めば満足できそう。
ブックガイドとしても良い。

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Posted by ブクログ 2013年04月07日

普段は特に何とも感じていなかったが、本書を読み異常な人間関係を知った。

「従順だった娘たちは、叶えられなかった母親の野心を果たすべく、独身のキャリアウーマンとして仕事を続けようとします。彼女たちは、一見自立しているようにみえますが、その一方で母親の願望をかなえるというカプセルから自由になれていませ...続きを読むん。つまり彼女たちは、自分自身のために生きられないのだ、と斉藤氏は喝破します。」(p.72)

母親のの願いを叶えようと、母親と違うことをして自立しようとするも、かえってその行動が母親に縛られてしまっているという落し穴に陥ってしまっているというところに憐れな女性の像を見たと思う。
母親と娘という特殊な人間関係上、起こりやすいことだと納得できた。
適切な距離が重要なのだろう。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年06月29日

女性は身体を「持っている」
女性は自分が女性の身体を持っていることだけを理由として連帯することができる。
荻尾望都「イグアナの娘」
内田春菊「AC刑事 日笠媛乃」
母親の価値規範の影響は父親のそれに比べるとずっと直接的。母親は娘にさまざまな形で「こうあってほしい」というイメージを押し付ける。娘は驚く...続きを読むほど素直にそのイメージを引き受ける。価値観なら反発したり論理的に否定もできるが、イメージは否定できない。
「母というのは要するに一人の不完全な女のことなんだ」これは娘が母親の呪縛から解放されるためのきわめて重要なことば。
母は娘に個人的感情しか与えることができないのではないか。価値観に重みをもたらす最大の要素はその価値観を裏付ける理屈ではなく、価値観を獲得する際に感じた感情である可能性が高い。
ペドロ・アルモドバル監督「ボルベール」
エディプスコンプレックス・・男の子が経験するという「父を殺し、母と寝る」という幻想にまつわる愛と憎悪の葛藤。フロイトによると3歳から5歳の子供がこうした葛藤を経験するとされる。「去勢不安」→せっかく生えているペニスを禁断の母親への愛ゆえに、父親に切り取られてしまうかもしれないという不安。この不安の解消のため自らの欲望を制限し、母親の独占を諦め父親に同一化しようとする。
女の子の場合は、離乳の段階で、この分離の恨みが男の子より長く残る。自分にも母親にもペニスがないことに気づく。「ペニス羨望」がもたらされる。ここでペニスを持たない母親を娘はいったん見捨て、離乳の恨みもぶり返し、初めて娘から母親への憎しみが芽生える。そして欲望は父親へと向かう。このエディプスコンプレックスは一生続くとされる。これは父親から贈物として子供をもらいたい、父親の子供を産みたいという願望において極点に達する。このペニスを子供をもちたいという二つの願望は無意識の中にしっかり根をおろして、女性がその後その性的役割を演ずるための準備をするのに役立つ。
男性は身体をもたない→男性には象徴的な意味での本質しかない。男らしさと考えられるものは文化の違いはあれど「論理性」「潔さ」「筋を通す」「我慢強さ」など観念的・抽象的。一方女性らしさは外見や所作などの身体性において表現される傾向がある。
多くの母親は「まったく無力だと感じているのに、それでも全能のように思われる」という矛盾の中で宙づりになる。
ほとんどすべての娘はある時点で母親に対して失望を感じます。それは子育てにつきものの、不可能で消耗させられる期待に応えられる人など誰もいないから。母親が娘に与えられる一つの素晴らしい贈物は、できる限り自分自身の人生を生きること。
母親が娘に要求するものは「自分の人生の生き直し」。自分と同じ性をもつ子供のうちに、人生のやり直しの可能性を見る。その親は自分自身の過去との関連でこの子供の将来をすでに思い描いている。そして子供を「同一化計画」の中に包み込み、さらには閉じ込める。

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Posted by ブクログ 2012年03月30日

母と娘の関係について、極めて分析的かつ学問的に述べられた本。

母と娘関係だけでなく著者の勤務する病院の患者やその家族の生活水準も少し伺える感じがした。

最終章に近づくにつれ、良心的かつ距離感のある解釈が述べられているが、日本の精神医療の現状に忠実に答えているように感じた。
関係性と身体性について...続きを読むはニュートラルに述べられているように感じたし、本書をきっかけとして先駆者になっているようにも思った。

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Posted by ブクログ 2011年07月29日

母と娘となっているが、比較として、父-娘、父ー息子、母-息子の関係も扱っている。中心が母-娘であるだけである。

1章 母と娘が戦っている
2章 母の呪縛の正体を探る
3章 女性ゆえの困難について
4章 身体の共有から、意識の共有について
5章 関係性の回復のために

著者が1961年生まれのひきこ...続きを読むもりが専門であるので、漫画の例であるとか、象徴的な社会的な事件なども含めて精神的な病理にも踏み込んでいる。専門が精神医学であるので、フロイトの精神分析的な影響もあるがなっとくする面も多かった。

人間関係は、本当に難しい。

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Posted by ブクログ 2010年09月15日

女性性に対する社会的な抑圧、身体機能から生じる抑圧、同性故の複雑な関係が息子による父殺し以上に問題を難しくさせる。離れて自立したら解決かと思ったけどインナーマザーとか...ことはそう簡単じゃなさそう。

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Posted by ブクログ 2010年07月12日

[ 内容 ]
娘を過剰な期待で縛る母、彼氏や進路の選択に介入する母…娘は母を恨みつつ、なぜその呪縛から逃れられないのか?
本書では、臨床ケース・事件報道・少女まんがなどを素材に、ひきこもり・摂食障害患者らの性差の分析を通して、女性特有の身体感覚や母性の強迫を精神分析的に考察し、母という存在が娘の身体...続きを読むに深く浸透しているがゆえに「母殺し」が困難であることを検証する。
「自覚なき支配」への気づきと「自立」の重要性を説き、開かれた関係性に解決への希望を見出す、待望の母娘論。

[ 目次 ]
序章 なぜ「母殺し」は難しいのか
第1章 母と娘は戦っている
第2章 母の呪縛の正体をさぐる
第3章 女性ゆえの困難について
第4章 身体の共有から意識の共有へ
終章 関係性の回復のために

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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Posted by ブクログ 2009年12月25日

女性、そして同性同士の親子関係の特異さ・恐ろしいほどの難しさ、娘が母親の存在にいかにその後の一生を支配されるかということを極めて冷静に記述した本。
これという解決策がないのもまた恐ろしい。母との関係性のカラクリを知っただけでもよしか。
印象に残ったのは、女は自分の身体を“空虚な容れもの”と感じ、身体...続きを読む性に関する葛藤が男性に比べてとても強いというくだり。
確かに自分という存在が、メンテナンスのややこしい身体という容れものにすっぽり収まって出られないでいるというようなことはよく感じてきたなあ。
心理学上の専門用語がさらさら登場するので、予備知識がないと中盤は少し読みづらいかも。
女性性男性性のちがい、親子関係の特異さを知るにはなかなかの良書かと思います。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

思春期ポストモダンの内容は実によかったし、文章も読みやすかったんだけどなあ……
筆者の姿勢は好きです。でも、書かれていることが感覚的にわからない。たぶん男性目線で論理的に母娘間にある何かを解き明かそうとしているからだと思います。個人的に残念。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

漫画や創作物の引用が多いので、ちょっとそこのあたりがわかりにくかった。女性にはいろいろと納得できる点が多々あると思う。そういう意味で男性が呼んだ方が面白いかもしれない。個人的には女性性の嫌なところが目に付いてしまい、読後感があまり好きではない。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

面白かった。
多少、作者の自慢っぽいところやフィクションを例にしているためにわかりにくいところなど欠点はあるにせよ・・。
「無条件の承認」と「条件つきの愛」の組合せっていう視点が新しい感じがした。

母親は娘の人生のうちに、自分の人生のやりなおしの可能性を見る・・・なるほどなあーと思った。私に...続きを読む子どもはいないが、子どもを持つのがこわくなるような内容だった。「母親は娘の人生を支配してよい」という思い込みって強いんだろうなあ。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2022年11月21日

※別な本の感想です

「母と娘はなぜこじれるのか」が登録にないので、代わりにこちらを登録。

私の私見では、息子は、育ててもらってありがと〜じゃあねーと、親(母)とは個と個で一線を引いて、成長後は戻ってこない、あっさりしているイメージ。全然親のことについて知らないってことも。生物として独立しているっ...続きを読むて感じ。
息子に母親は片思い必至なのかもしれない。
それは男性は体の認識がないからとのこと。←よくわからなかった

娘は母と一体感が成長の過程で約束されている、母がお手本として観察されるし自分と同一視してしまう生き物っぽい。
共感性が武器の女性ならではの生存戦略?なのかも。故に子供には自分の生き直しの願望や、親からの育て方に反発して自分は違う方針で育てたり、かなり子育てに自分を投影する傾向。
子育てしてても、女の子を育てるのに母親の責任は重大だなと思う。最初は育てやすくていいんだけど思春期からが難易度高いのが女子。
でなんだかんだで親を見捨てきれずに罪悪感を感じて心配し続けてくれる、関わりを切らないのが娘。毒親持ちには悲しい性かな。

読んで思ったのは、息子が離れていこうが、娘が一体感を持って育とうが、母親自身が一人の人間として独立している個として存在することの重要さだと思った。
いち人間として面白い、深みのある人間にならないといけないと思った。(自分と子を切り分けて考える、仕事を持つ、趣味を持つ、コミュニティをもつ)大人になったら対大人として話せるように。

娘に依存したりまずい育て方するとか、あると思うけど、それをすこしでもマシに、また将来子供が離れていくとき母親自身が気持ちを自己管理できるために、子育てしながら自分も育てていかないと辛いと思う。

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Posted by ブクログ 2022年02月08日

よいテーマですね。深い考察が読めるかと思ったら、なんとなく小難しいところが残念。母娘をテーマしたのを男性が書いているのがポイント。男性ゆえに明らかにピント外れた議論になっている箇所があるが、それもご愛嬌というか、全体の隠し味になってる気がする。結論めいたことを言わないところがよいのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2013年04月11日

オイデュプス王やカラマーゾフの兄弟が代表的な様に、息子による父親殺しが小説のテーマになっても、娘による母親殺しという主題は読んだ記憶がない。また友達親子でも母娘関係を扱うのが中心であり、父息子の場合というのは少数ではないだろうか。本書ではジェンダーや支配と保護、承認と愛といった精神分析で用いられる概...続きを読む念を用いながら、女性性というのが持つ社会的困難さ、身体と言葉の不可避的関係性という特徴にその原因を見出そうとする。ここに解決策がある訳ではないのだが、「母―娘」という関係の困難さについて理解するために読んで損はない。

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Posted by ブクログ 2012年03月30日

母と娘の関係がなぜ複雑化するのかに着目した本。どう支配から回復するかというテーマを期待するとガッカリする(著者も言うように、知識は回復に役立つけれど)

自分の体の1部が、ショーケースに入れられて、目の前にあるのに触れないって印象の本だった。自分にも当てはまることであるのに、理路整然としすぎていると...続きを読むいう感じ。筆者が理論的に分析するに留めようとする態度の現れだろうが、内容が自分の問題と近いにも拘わらず筆者との距離が遠いというのは、自分には快くないものだった。逆に、肯定されたいとか励まされたいとかあまり思わず知識を仕入れるために読むなら、筆者の態度は誠実で真摯だろう。 自分もいずれ再読し、星5つをつける日もあるかもしれない。

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