【感想・ネタバレ】新・ローマ帝国衰亡史のレビュー

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Posted by ブクログ 2022年03月13日

ローマ帝国の崩壊を、人々が「ローマ人である」という誇りを持ったアイデンティの衰退から説明している、と思われる。
人物名が多く、地理に馴染みがなかったので読むのに時間がかかり、理解できた自信はないが、物語の核はとても分かりやすかった。
トップの政策の失敗、汚職により体制が綻び始め、人々の生活が立ち行か...続きを読むなくなると「仮想敵」がいると呼びかけて団結を図ろうとする流れは、現代でも見られるだろう。
ローマ帝国の存続は、まさに人の流れに制限がほとんどなく、有能であれば徴用されて、出世ができたという文化にあり、それを自ら狭めてしまったのは生存可能性を自ら低くしてしまう行いであった。
この点は、組織論でも指摘がなされそうな箇所であり、面白かった。

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Posted by ブクログ 2021年02月18日

地図や系譜図がふんだんに用いられ、年表も付けられているので慣れない人名や地名も混乱せずに読める。さらに欲を言えば、これだけよくまとまった内容なだけに、索引があるとうれしいところ。

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Posted by ブクログ 2020年07月25日

ローマ史は大好きなテーマの一つなので、大変面白く読めました。まだまだ学問的にこの分野は進んでいきそうで今後の展開が楽しみです。

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Posted by ブクログ 2013年09月17日

歴史に疎い私でも丁寧に読んでいけば理解できる。
ローマ帝国の衰亡の原因を「ローマ人らしさ」の消失に求めている点は、組織のあり方、特に組織文化や組織アイデンティティーの観点ともつながる課題となりうる。
改めて、歴史を解釈していくことのおもしろさを認識させてくれる好著である。

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Posted by ブクログ 2013年06月13日

ローマ帝国の衰亡は、遠い昔の出来事なだけではない。何故、かくも強大な帝国が衰亡したのかを知り、その教訓を今に生かす。我々が歴史を学ぶ理由のひとつががそこにある。
終章203ページの一文こそが、本書の中で著者が一番言いたかったことに違いない。

【蛇足】
「匈奴=フン族」とは断定できていなかったのね。...続きを読む知らなんだ。

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Posted by ブクログ 2014年06月22日

著者なりの解釈のローマ帝国衰亡史。

まず全盛期のローマ帝国がいかにしてあのような巨大な領土を成せていたのかを説明する。
そして、コンスタンティヌス帝以降の通史を追って、それがいかに崩壊していったかを説く。

曰く、全盛期の帝国には明確なフロンティアはなく、帝国を帝国たらしめていたのは「ローマ人であ...続きを読むる」というアイデンティティであったという。
そして、その基盤が揺るぎ始めるのがコンスタンティヌス大帝の治世であり、最後はわずか30年の間に一気に瓦解したことを描く。

政治史と社会史に重きをおいた論調。
ローマ帝国の紐帯の基盤を、人々の「意識」に求め、その「意識」を育んだ政治システムがいかに変容したかを説くことで、衰退の理由を捉えようとする。
全盛期の帝国の政治システムが、「ローマ人である」というアイデンティティの形成を促進し、その意識が帝国の「統合」するように機能していたという主張は大変説得力を感じた。
しかし、ローマ帝国末期にそれを支えていた政治システムが変容していったことは分かったが、それが理由で他民族に対しなぜ「排他的」な意識に変わっていったかは読んでいてあまり得心できなかった。

どうしてもこういう切り口からの分析は立証するのが困難なように感じてしまうが、そもそもローマ帝国の衰亡ともなれば様々な要素が複雑に絡み合った結果なので、明確に描き出すことは難しい。
こういう努力の積み重ねが、今までに散々説かれてきた衰亡の理由に、さらに新たな側面を付け加え、また一歩その全体像に近づけているのかもしれない。

歴史研究もその時代背景の影響を色濃く受ける、という主張が繰り返し登場するのも興味深かった。

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Posted by ブクログ 2014年04月07日

ローマ帝国の衰亡の原因を、寛容さの喪失であるとして論じている。
ローマ帝国というとゲルマン人によって滅ぼされたという印象をもつが、実際は魅力的な「ローマ人である」というアイデンティティーでもっていわゆるゲルマン民族などの外部部族をその内に受け入れ、帝国がまとまっていた。
それが、国家の危機に際して「...続きを読む排他的ローマ主義」が台頭してきたことが、急速に国家の魅力を失わせ、ローマ帝国が「尊敬できない国家」へと成り下がったとしている。
国家としての魅力を失ったときに国は滅びる。ある意味非常にわかりやすい話だが、その経緯はとても複雑だった。如何にして国家は滅びるのかについて考えさせられた。

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Posted by ブクログ 2013年07月09日

歴史の時間では、ローマ帝国はゲルマン人が北から侵入してきた
ことが原因で衰亡したと習ったように記憶している.本書では帝国の政治状況を加味した解説がなされており、非常に納得できた.このような記述がある.「北からの諸部族の移動の影響を最初に受けたのは帝国の東半だった.しかし崩壊したのは西半である.西半は...続きを読む在地の有力者が強く、東半は皇帝政治の権力が強かった.」 この権力者たちの心がローマから離れたことが衰亡した最大の要因だ.さらに「ローマ帝国の衰亡とは”ローマ人である”という帝国を成り立たせていた担い手のアイデンティティが変化し、国家の本質が失われていく過程であった」と結論を述べている.

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Posted by ブクログ 2013年06月19日

ローマ帝国の衰亡の要因は、外部の民族をローマ市民として、受け入れていた寛容さが失われていき、排他的になっていったことだと著者は言ってるのだと思う。そして、ここでははっきり明言せず、匂わせるだけだが、その背景にはキリスト教の信条があるのだ。
コンスタンティヌスが大帝と呼ばれ、ユリアヌスが背教者と呼ばれ...続きを読むたのは、前者がキリストを国教としたのに対して、後者が他の宗教の信教の自由を認めたからだが、キリスト教は極めて排他的な宗教で、ローマ帝国の寿命を縮めた要因になっているのだと思う。

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Posted by ブクログ 2013年06月16日

南川さんは、日本で信頼できる古代ローマ史家のひとりだと思います。現在の我々の「民族」という言葉の意味が、古代ローマの歴史に接する際に、邪魔をします。19世紀以降の民族としての「ゲルマン人」という人たちは存在しないということをあらためて認識しました。(途中)

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Posted by ブクログ 2022年07月29日

ローマ帝国が当初、民族の捉え方がフレキシブルで融通性に富み、帝国を発展させる力の一つであったが、東西の分裂、東方民族の侵入への対処に狭小な考え方が入りはじめ、フレキシブルさを失った帝国の未来は暗澹たるものになってしまった。

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Posted by ブクログ 2020年03月01日

ギボンのローマ帝国衰亡史も読んでいないし、ローマ帝国の歴史に詳しいわけでもないため、消化不良気味。
ローマ帝国がこんなに広大だったことに驚いた。また、最初は、外れの方は境界が曖昧というかゆるかった、民族という意識がなく、「ローマ人である」という意識で繋がっていた。帝国崩壊の原因はそのような意識でいた...続きを読むはずの「第3のローマ人」達を排外主義により帝国の中心部から排除しようという動きのせい、など。
現在の日本は大丈夫かな、とつい考えてしまった。
巻末に簡単な年表がついていて、先に気づいていれば、もう少し頭がついていけてたかもしれない、と思いました

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Posted by ブクログ 2018年11月05日

『ローマ帝国衰亡史』といえばギボンのものが本家本元。その向こうを張って21世紀の衰亡史を書こうというもの。歴史学はその同時代の影響を必ず受けるものだと。もっとも本家は文庫本で全10巻。手軽なところが21世紀的という訳ではなかろうが。

カエサルの時代(前1世紀)、五賢帝時代(2世紀)、軍人皇帝時代(...続きを読む3世紀)からまず概観して、コンスタンティヌス大帝、ウァレンティニアヌス朝、東西ローマ帝国分裂(4世紀)、西ローマ皇帝廃位(5世紀)までを扱う。ローマの歴史に詳しくないので、ざっと掴むのにはありがたい記述の分量。

・ローマ帝国の国境は出入りのルーズな「ゾーン」であった。→昔だしそんなものか。一方、ハドリアヌスの長城なんてあったが。

・複数の皇帝による分割統治は東西分裂以前、ディオクレティアヌスの治世からあった。→版図が広くなりすぎとはいえ「帝国」のイメージとなんか違う。当時の通信手段は何があったのだろう?駅伝とか狼煙とか。

・「ローマ人」の概念は版図拡大とともに広がった。ローマの外にいるローマ市民もローマの特定地区に本籍みたいなものを持っていたが次第に名目化した。生粋のローマ人が「第一のローマ人」、植民市生まれが「第二のローマ人」、蛮族出身が「第三のローマ人」。今のような「民族」概念は持っていなかったとされる。ただ服装をローマ風にすることが要求されたりした。

・蛮族出身者にとってローマ軍への入隊が帝国内の社会階層を上がる典型的なルートであった。ほかに官僚への登用なども。「第三のローマ人」の存在は時の皇帝の重用によるものであり、皇帝権力と密接に結びついていた。→100年以上たっても同化しなかったわけだし、蛮族出身のアイデンティティは保たれていたようだ。

・ゲルマン民族の大移動が、これまで言われてきたように破壊的なものであったか、それともよりマイルドなものであったかは議論がある。しかし、特定の時期にローマの城砦などが破壊されていることは発掘により明らかになっている。

・混乱期は皇帝や一族郎党がよく処刑される。北朝鮮か。

著者の主張は、ローマ人アイデンティティの崩壊=偏狭な排外主義がローマ帝国衰亡につながったと読める(あまり因果関係を明示的に主張してはいないが)。しかし因果は逆で、帝国の勢力衰退が排外主義台頭につながったと考えるほうが素直では。

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Posted by ブクログ 2018年11月04日

・ローマ帝国を実体あるものとしたのは「ローマ人」であるというアイデンティティ。このアイデンティティのもと、外部からの人材を受け入れてきた。しかし、四世紀以降の経過の中で徐々に変質し、内なる他者を排除するようになった。政治もそうした思潮に押し流されて動くことによって、その行動は視野狭窄で世界大国に相応...続きを読むしくないものとなり、結果としてローマ国家は政治・軍隊で敗退するだけでなく、「帝国」としての魅力も威信も失っていった

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Posted by ブクログ 2015年10月01日

ローマ帝国はなぜ滅びたのか。世界史の教科書的には、分割統治によって弱体化した西ローマ帝国にゲルマン民族が侵入し、暴れまくった結果、なんとなく帝国は消滅したという説明だろう。たぶん。そんなスッキリしない説をはっきりさせようじゃないかと、最新の研究による新発見ネタも盛り込んで著されたのが本書。

ややこ...続きを読むしい人名が乱発する内容なので、ローマ史をそれほど知らない人にとって、とっつきにくい本だ。そんな人はなぜローマは滅んだのか、その一点だけを理解しようという心構えで読むべきだ。個人的には、反キリスト教の懐古主義者、ユリアヌス帝の短い生涯が印象に残った。

で、ローマ滅亡の要因の一つ、「ゲルマン民族大移動」のこと。この言葉から、武装難民が次から次へローマ領土を荒らしまわり、なんとなく「北斗の拳」の世界をイメージするが、実際はそこまで無法ではなかったそうだ。温厚な民族や数10名の少数民族もいて、平和的にローマに「引越」するものも多く、武力による侵入はほとんどなかったようだ。

しかし、それはローマにとって、ローマ愛を持たず、帝国の危機にも非協力的な市民が増えることだ。ローマを愛するローマ人がいなくなり、帝国はなんとなく消滅した。・・・読み終えて、どうも腑に落ちない結論。

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Posted by ブクログ 2015年08月10日

ローマ人の繁栄は異民族を排除するのではなく取り込むことにあり、衰退はその寛容さを無くしたこと。
国の盛衰を考える上で軸がぶれるといけないのかな?
日本はギネスで一番長く存在している国だが、日本の軸は何であるのか。
これを考えさせられた。

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Posted by ブクログ 2015年01月12日

ローマ帝国の五賢帝以降のキリスト教を取り入れてから滅ぶまでの描いた一冊。

ローマ帝国の知識がないと難しい箇所も多々あったが、現代にも置き換えることのできる歴史の攻防はとても勉強になった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年09月10日

斜陽期に入っていても、まだ日は高かった筈のローマが一気に衰亡した原因を、寛容から排他主義への人々の変容に見ています。
ローマを排他的にした原因をキリスト教とするのではなく、キリスト教もまた変容していったするのが面白かったです。
排他的になることからの視野狭窄が良い結果を生まないのは、何事にも共通して...続きを読むいると思います。
紙面の関係か全体的に少し物足りない印象でした。

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Posted by ブクログ 2013年08月16日

コンスタンティヌス大帝の時代から衰亡まで、21世紀のローマ帝国衰亡史をと気合いの入った記述をしている。「ローマ人である」という、帝国の担い手のアイデンティティが変化したとがローマ衰亡の原因としている。しかし、アイデンティティの変化は、ローマの内外の情勢が変化して衰亡していく過程を反映した結果としては...続きを読む考えられないのか。ローマ人のアイデンティティの考察は、非常に興味深く重要な指摘だが、ローマの衰亡に直接影響する道路・都市のインフラ、食糧輸送システムが何時頃まで機能していたかも知りたかった。

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Posted by ブクログ 2013年08月11日

『ローマ人の物語』、ちょうどこの本の主題である衰亡の前の五賢帝時代ネルヴァの巻まで読んだところで、この本。

ローマをローマたらしめた寛容さがなくなり、不寛容なローマ(排他的ローマ主義)に社会が変質していった。カエサルから始まった外部部族の政治・軍事における比重の増加、外部部族側のエスニシティへの目...続きを読む覚めなどがあいまって、排他的なエスニシティ形成につながったようです。
同時にキリスト教もその性格が変貌し、排他的になり、ローマ帝国が崩壊した。

openとclementiaが同じかわかりませんが、不寛容な社会、組織は長続きしにくいでしょうね。


前著も出ているようなので、こちらも読んでみようと思います。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年07月02日

南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書、ギボンの名著に“新”を冠する本書は、歴史学最新の成果を踏まえ地中海の帝国よりも「大河と森」の帝国の衰亡を点描する。帝国領土は確かに明るい地中海が全てではない。巨大な帝国は三十年で滅亡した。栄えた国が滅びること、国家とは何を考えさせる好著。

四世紀後半、攻勢...続きを読むに晒されるローマは「尊敬される国家」をかなぐり捨て、全盛期の推進軸(市民権の平等と寛容)とは対極の「排他的ローマ主義」へ傾く。国家の統合よりも差別と排除を優先させ、実質的にローマを支える「他者」を野蛮と軽蔑し、排除した。


「この『排他的ローマ主義』に帝国政治の担い手が乗っかかって動くとき、世界を見渡す力は国家から失われてしまった。国家は魅力を失い、『尊敬されない国』へと転落していく」。著者は安易に現代と比較することに控えめだが歴史は大切なことを教えてくれる。

私は歴史学者じゃないけど、先のようなかたちでの「歴史から学ぶ」ということは必要なんだろうと思う。確かに、ゲルマン民族云々によって西ローマ帝国どーんていうのが教科書的「学び」なんだろうけれども、その転換に、繁栄から凋落へというのは(要するに寛容から排除)、アクチュアリティがあるわな

国が傾くと、声高な外交にシフトすることで、本当に考えなければならない問題をスルーさせ、瞬間最大風速的な一時しのぎの求心力を得るために排外主義に傾き、失敗してきたのは世の常。しかし、ローマ帝国もそのひとつというのは、常々「ネットで真実!」と刮目したネトウヨ諸氏にも紐解いてもらいたい

私自身はそういう内向きなものだけでなくて全てのナショナルなものは……松下電器は嫌いだけど……唾棄すべきと思っているけど、その手前に留まるとしても、自分が何であるように、他者も何であるという、自覚とその相互認識という手順が割愛されていくと、ほんと目も当てられなくなってしまう。

ざっくりとしたもの謂いをすれば、一口にギリシア・ローマといっても、ギリシアは、まさに「排外主義」に基礎づけられた自己認識によってどん尻になってゆく、ローマに超克されてゆく。そしてローマは、先験的な条件ではない「であること」の選択としての「市民権」により他者から魅力を集めた。

ついでに言及すれば、本来的に、カテゴリーに準拠されえないイエスの“戦い”が、斜陽するローマ帝国の国教となった時点で、その普遍的なものが歪められてしまうっていうのも、まあ、時期的にはローマ帝国の排外主義の生成の時を同じくしていくというのは、難ですよ。これぞ枠内猫パンチというヤツか

しかし、まあ、これはキリスト教に限定され得ない話ではあるわけなので、この世を撃つ眼差しが、この世の仮象たるものの下位に序列化されたときの問題として考えておかないと、あまり意味はない。江戸期以降の仏教や、戦前日本の諸宗教が「私たちこそ国家に有益な宗教」競争をしたわけだしね。

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Posted by ブクログ 2013年06月17日

ニューヨークウォーク、ニューヨークトークということだろうか。
トウキョウスタイルということもある。
「ローマ人であること」ブランドで、ローマ人が再生産されていた。
そこに差異性、差別性があまりに強調されると、嫌味になる。
新人類は敏感だし、まして新勢力は古いスタイルに魅力なんて感じないだろう。

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