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ここ数年の間に、必要に迫まられて書いてきたものの中から十篇ほどを選び出して編んだのが、この本の構成である。いずれも「教育とは何か」という問いに対するわたくし自身の模索の過程を示しているもので、「教育の探求」としてまとめてみた。
これらの文章が書かれた一九六〇年代末から七〇年代にかけて、わたくしたちのまわりには、いろいろな形をとつて教育問題が噴出していた。それは戦後教育改革の手なおしから始まって、経済成長政策とそれにみあう政府の教育施策がつぎつぎに打ち出され、「教育爆発」などという、わたくしにはいやな感じの訳語をふりまわす、うきうきした人びとがあらわれる反面、実際の教育界は荒廃の度をますます深めていくのであった。「過剰の中の貧困」とは、「繁栄」するこの国の文明の中での人間の発達と教育とのおかれた地位をもつともよく象徴するものであるかのように思われた。
教育の探求の仕事は人間の歴史とともにつきることのないもの、したがって一群の専門研究者の探求関心にとどまってよいものではむろんない。それは種の持続という、意識するとしないにかかわらず、すべての人間の関心にその根をおいているようなものなのだ。しかも、この種の持続のための子育ての努力は、元来、当面の種の生活の維持に矛盾するというか、少なくとも厄介ないわば足手まといなのであって、その種族の現在の生活行動、群生活にひどい犠牲をしいているものなのである。いまわたくしたちが直面している子育ての破局的ともいうべき困難さは、社会全体がこれと正面からとりくむことによって、新しい文明の選択に達する可能性をも含んでいるといえることになる。
こう考えると、「教育の探求」は人間の破局と展望とを背中合わせとした、おそろしいほどに大きな課題となって、今日のわたくしたち、つまり親や教師や研究者のすべてのまえに日常的に立ちはだかっているといえよう。(「あとがき」より)
目次
選びながら発達することの権利について
教育とは何か
ふたたび教育とは何か
教育観の歴史的検討――教科書検定第一審判決によせて
付論 教化と教育
民族教育をめぐる一つの問題
教育を支えるもの――岐阜県における「教育正常化」問題の実態調査から
地域の教育文化運動――中津川教育百年史展から
青年の自己実現と中等教育
学問の自由と教育改革
教育科学研究運動とは何か
あとがき