織田家中随一の活躍を果たしてきた、丹羽長秀。その右筆・太田牛一は、長秀の記を秘かに残そうとする。本能寺の変で長秀は、窮地に立たされていた。明智光秀を討つのに最も有利な位置にいながら、軍を動かすことはおろか、行動を共にする信長の息子・信孝の暴走を止められなかった。しかし、大乱の中で長秀は、亡き主君への想いと、未来を見据え、ある秘策を立てていたのである。男たちの熱い生き様を描いた、新鋭による戦国秘史!
Posted by ブクログ 2021年08月25日
信長公記を書き上げた太田牛一をストーリーテラーにして、織田家重鎮こと家老の米五郎左こと丹羽長秀について、本能寺の変以後の生き様を描く。
丹羽長秀は、信長の養女を妻に迎え、嫡男の長重も信長の五女を娶っている。
当然、信長の信頼も厚く、常に信長の近くにおり、目立つ事はないが、行政、軍事の両面で多大なる貢...続きを読む