Posted by ブクログ
2021年05月05日
この著者は、前に『裏庭』というのを読んだことがある。
その時は、ふんわりした話を書く人なんだなという印象を持った。
『裏庭』は『裏庭』でよかったのだが、でも、普段は「殺人事件だ!」「ギャー!」みたいな本ばっか読んでることもあってw
もうちょっと刺激的な方がなぁーなんて(^^ゞ
そんなイメージだっただ...続きを読むけに、これは読んでびっくり!
この著者って、こんな骨太な話を書く人だったんだなーと。
いやはや。おっそれ入谷の鬼子母神!
って、江戸っ子かw
実はこれ、ある方の本棚にあった本で。感想を読んでいて、妙なひっかりを感じて。
「あ、これは読みたいかも!」と読んでみたのだが、いやいや、どうして。そんな単純な話ではなかった。
いや、面白いのだ。淡々としているわりに。『裏庭』のような、ふんわりした感触もある。
でも、読みながらも感じたのは、これって、たぶん、この著者なりの歴史観を描いているんだなーと。
だからこそ、物語の舞台が東洋と西洋が交差するイスタンブールで。
ま、その辺りの歴史は自分は疎いのでなんとも言えないが、主人公を明治の日本人にしたのは、世界(史)を素の状態で見て語らせるためなんだろうなーと思っていた。
ただ、もちろん、著者にその意図はあったんだと思うのただ、むしろそれは余禄みたいなもので。
著者が書きたかったことは、それよりも、西洋と東洋、キリスト教と他の宗教、男と女等々、お互い違うものを安易に融合しようというのではなく、違いを認めて尊重し合おう…、と言っちゃうと、今っぽくて、毒にも薬にもならないきれいごとになってダサいから、登場人物の言葉を抜き出すと。
「もう止めてくれ。耐えられない。だが、貴方の話を聞いている内にわかったことがある。僕はこういうことから、抜け出したいがために西洋を目指しているのだ。理に適った法、明晰な論理性、そういう世界を僕は目指しているのだ」
と言う日本の日本人である木下に対して、イスタンブールの人でありながらキリスト教に改宗しているシモーヌはこう言う。
「そういう世界、知らなくもないけど。あまりに幼稚だわ。わかるとこだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう。という、そういうことよ」と。
人(国)というのは、論理と感覚、どちらかに偏らせると、衰退したり、他(国)を侵略しようとしたり、おかしなことになる。
論理で言う人、感覚で言う人、異なる人がいるのは、論理で言う人と感覚で言う人が意見をぶつけ合うことで、人(国)をよりよくしていくためなんだ、みたいなことを、19世紀のイスタンブールを舞台に明治の日本人である主人公に言わせたんじゃないのかなーと。
さらには、著者なりの感性として、西洋の論理(科学性)を、(科学が)わかっていることだけではなく、(科学が)わかってないことにも適用されている状況、つまり、現代人の論理への盲信を、「何かおかしくない?」とあなた(読者)の感覚は警鐘を鳴らしてないですか?と問うているんじゃないだろうか。
ていうか。著者が言いたいことを、そういう風に文章として書いてしまった時点で、それは西洋流の論理になってしまっているんだろう。
著者が伝えたいのは、そうではなくて。それを言葉や文字にして理解するのではなく、この本の登場人物たちの言動から“感じてください”ということな気がする。
つまり、“多様性が大事”だとか、“ダイバーシティ”、“お互いの違いを尊重”と言葉や文字にしてしまったら、それはその途端、西洋流の論理になってしまう。
西洋流の論理というのは、「わかるとこだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう」なのだから、わかることが増えてくれば、論理が変わることで必然的にその価値観も変わってくる。
でも、この物語の主人公がイスタンブールで他の登場人物との関わりで感じた本質は変わらない。
その文字でも言葉でもない“見えないもの”を、見えないからと言って無視しようとする「論理」は人(国)をおかしくする。
そういうことなのかなーと思った。
上記のことは、正直まだ巧くまとめられない。他の人が読んでも、何が何やらだろう。
でも、それを上手くまとめたら、それは「論理」になってしまう。他人がその「論理」を読んだら、それは「情報」になってしまう。
それでは絶対駄目なのだ。
追記
4/11(日)、朝のNHKニュースでカズオ・イシグロのインタビューをやっていて。
その中で、ふーん。なるほどなーと思って聞いていたのが以下。
自分の信じたいものこそが正しい。それが真実だという、おかしな考えがどんどん広まっていると感じる。
多くの人が、自分が感じていることだけが“真実”だと主張する、この状況を見ると、感情を描く小説家としては、とても不安になる。
(中略)
私たちは、自分の思いだけで突き進み、自分が聞きたくない意見は聞かないという風潮に抗っていかなければならない。
一方で、他人の意見など聞きたくないというのも人間の性でもある。
だからこそ、小説や本、ドラマやドキュメンタリーなどが大切なのだ。
いや、“自分の思いだけで突き進み、自分が聞きたくない意見は聞かない”って、まさにそれがNHKなんじゃん!とも、思っちゃったんだけどさ(爆)