Posted by ブクログ
2019年08月15日
以前読んだ『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』でも言及された、
①回復の見込みがなく
②耐えがたい苦痛を受けていて
③本人が(あるいは周囲の家族も)死を望んでいる(認めている)
場合に、自死が認められるかという問いに対し、仮に「認められる」とした場合にどのような手法があ...続きを読むりえるのか。
その疑問に対する答えの一つとなりうるかもしれないと思い、この本を読みました。
自ら、死期を早める(自分自身で死ぬタイミングを決める)ことが認められる場合、選択できる方法としては
(1)延命処置を停止する
(2)医師による助け(薬をいれた点滴の準備など)をうけつつ、最終的には自らの手で自死する(点滴のバルブを患者自身が開けて自死する)=自殺ほう助
(3)医師による投薬などの手段で絶命する=積極的安楽死
の3点がありえるという認識に至りました。
また、各国の事情も実際の患者たちへの取材や安楽死を受ける現場に立ち会った筆者のルポを通して知ることができた点も、大きな学びになりました。
しかし、日本において(また、自分にとって近しい人において)形式はいくつかあるにせよ、この「安楽死」という死を自ら決定する制度を導入すべきかどうか、という問いについては、まだ自分自身の答えが出せていません。
個人主義の風潮が強まる昨今ですから、自分自身の人生のあり方(死に方)を個人の意思で決定することにどういった問題点があるのか、本人だけでなく周囲の同意もあるのだから問題はないのではないか、など肯定派の意見にも納得できる部分もあるのですが、「感覚的/心情的」にどうしても受け入れにくい、と拒否反応を起こしている部分があるのも事実です。
また、日本で以前問題となった「安楽死事件」のように、臨死期の緩和治療の過程で、結果として「安楽死」と言われるような事態に陥った場合の法体制(この事例では医師に法的責任が問われ、有罪判決が下されました)の整備をどこまで進めるべきか、ということについても、国民的な議論が必要だと感じます。
もちろん、すべての人が死を唯一の救いと考えることなく生を希望できる社会を作り上げることが理想なのでしょうが、現実には困難な部分もあるわけで(その実現を諦める、というのではなく)、濫用されない、また人々の支持を得られる制度を考えていかねばならないと強く感じます。
高齢化が進む社会であることに加え、個人的には90を超える祖父(幸いなことに矍鑠としており、まだ介護は必要としていませんが)がいることもあり、答えが出ない問いではありましたが、刺激的な読書体験ができました。
また、続編として『安楽死を遂げた日本人』という作品も上梓されたようです。今すぐに読む気力はちょっとありませんが、機会を見つけてチャレンジしたいと思います。