Posted by ブクログ
2013年03月10日
梅原猛のバイアスがかかっているかもしれない「古事記」の現代語訳。
スサノオはマザコン[p21]、アマテラスはひきこもり[「岩戸隠れ」p26]。 ヒーローで名高いヤマトタケルは、あのまま現代にいれば凶悪な犯罪者になるだろう[p127]。神話全体がスカトロジーに貫かれている(これは糞が肥料になるなど、...続きを読む当時の社会に根差していたか)。男女の生々しいエロティシズムは当たり前で、川でウンコしているときに矢が女性器に刺さって、その矢が男になったり(ウンコが流れる下流からではなく、上流から流れて来たらしい。よかった。[p101])、風俗の写真見学みたいに女を品定めしたり[p102](天皇の浮気は当たり前。ゾウアザラシ並み)、月経の血をみて歌をうたったり[p137]する。また、ボーイズ・ラブに近いようなニューハーフなようなエピソードも[p128]。
とにかく、黄泉の国にいたスサノオから奪った太刀と弓矢で地上(葦原中国)に国らしきものをつくったオオクニヌシ(大国主神)あたりから、地上に神が増殖し(植民か?)、アマテラスでさえ名前を尋ねないとわからない[p67]。それで、アマテラスもイザナギと同じように、地上の統治を他の神に任せようとする。無責任。お前がやったほうが早そう。結局、様々な混乱、争いが地上にはびこる。
古事記が扱うのはおもに天皇が神に近かった範囲内。推古天皇の近くはざっと数行で触れられるのみ[p217]。国を正当化する物語がこれほど人間的、生々しく生理的であるところが圧倒的な魅力。